廃園

一次二次創作を含む世迷言です。何でも許せる方のみどうぞ。あくまで個人的な発言につき、転載、引用はお断り致します。

【GO】優しい雨なら悪くない

 

「雨」「果実」「仕事」

いただいたお題より

 

 

 

 

 

 初めての雨を覚えている

 

 天使の姿を真似て作った「人型」は、陽を照り返す鱗もなく肉を噛み裂く牙もなく、どうにもひ弱で頼りなく思えたが、それでもまぁまぁ天使と並び立つ程度には様になっていたと自負している。黒い羽に黒い衣、腹の赤い色はちょっとした自慢だったから髪とやらに乗せてみた。いい感じじゃないか。なあ。

 

 神の作りたもうた箱庭で微睡む「人間」にほんの少しばかり誘惑を仕掛けてやったら、そりゃもう効果は抜群だった。少々堕落させてやれと囁いた悪戯に天使までもが乗り気になったのは意外だったけれど。だって天使だぞ? 神の言うままに動くだけの人形共に反逆する楽しみを教えてやったとして表彰されたっていい結果だ。その為にあの臭くて汚い地獄に戻るのは御免被るが。

 

 あの日から何度も雨に当たった。パラパラと降る日もあれば、世界を押し流すような嵐にもあった。あの時ですらお前は神を「本当に」信じていたんだろうか。無論信じていなければ堕天使となって俺の仲間入りだろうけど、お前が変わるのは見たくない。お前はお前のままで俺の「仲間」でいて欲しかった。

 

 世界に初めて雨の降った日、天使のくせに悪魔に羽を差し出したお前のままで。

 ずぶ濡れになりながら、「きみが濡れてしまう」とまぬけに笑った顔のままで。

 

 六千年、六千年だぞ、なあ、あれから何度世界に雨は降った?

 何度お前は俺に傘を差し出した? 

 奇跡的に濡れてないスコーンを抱えながら、ふたりで何度あの古書店の扉に駆け込んだことだろう。

 古びたパピルスの匂いに、甘いココアの匂い、オーブンで温めたさくさくのスコーンと、俺の為のブラックコーヒー、杯がすすめばチーズにワインも増えた。

 何度も何度も手土産を携えて古書店の扉を開けた。アブラカダブラ、呪文など唱えなくとも、天使の扉を開けるコツを俺はちゃあんと知っている。焼きたてのタルト、限定のケーキ、贅沢なチョコレート、なんだって知ってる。

 あの小さな一室が自分にとっては世界そのものだったのだと告げたら、はたしてあの鈍い天使は何か思うところに気づいてくれるだろうか。

 

 いろんなことがあった。何度も何度も喧嘩だってした。仲直りはよくわからない。大抵嫌な予感がして目覚めてみれば、「予感通りに」天使がまずい事になっていて、いろいろごまかすのに苦労したもんだった。悪魔を教会にまで呼んで永遠の生命を賭けたギャンブルだってさせるのだから、まったく俺の天使様は大したもんだった。いつの間にかうやむやになる。言いたかった事も言わなきゃいけない事も言ってはいけない事もうやむやになって、俺たちはいつも次の日には「なんでもないように」いつも通りに過ごした。

それからもサタンの申し子の発現。家庭教師と庭師として無関係の子どもを養育した日々。はちゃめちゃな誕生日パーティ、一度はお前を失って、もう世界などどうでもいいと投げ捨てたけど、それでもお前が諦めなかったからには俺だって諦めるわけにはいかなかった。

 

 そうして世界からハルマゲドンの危機は消え去り、サタンの申し子は「普通」の男の子?になって、「元」地獄の番犬と仲良く知恵の実をかじりながら今日も裏山を走り回っている。

 

 俺たちか? 俺たちは変わらないようで少し変わった。

 言いたい事も言わなきゃいけない事も隠さなくなった。言いたくない事も言って喧嘩もするけど、紅茶とケーキで仲直りの儀式をするようになった。

 そうしてふたり今も一緒にいる。

 昨日収穫した庭の林檎が傷む前にと天使は朝からせっせとキッチンにこもっている。何を作っているのか訊いても「内緒だよ」と教えちゃくれなかったが、流れてくるシナモンの匂いでまぁ想像はつく。

 今日は軽く小雨が降っているから、庭にシートを広げるのは諦めて、テラスに取っておきのテーブルクロスを張ろう。後は天使がお気に入りのカップティーポット、ピッチャーにミルクは多めに。雨の日だって今日も完璧なティータイムだ。

 

 「クロウリー! もう少しで出来るからお茶の用意をお願いしてもいいかな?」

「お望みのままに、天使様」

 

 お前は俺をそのアップルパイで誘惑する。

 俺はお前にありったけのアイを返す。

 アイジョウとやらは悪魔である俺にはよくわからないが、お前が楽しそうに笑うのは見ていてとても気分が良くなるから、今俺はお前をアイしているんだろう、きっと。

 ハルマゲドンの一件以来、地獄からも天国からも余計な干渉はないが、もはやいちいち騎士王の望みとも劇作家の悩みにも関わる事なしに、俺たちはこの静かなコテージで日がなお互いの仕事を交換している。

 

 最近めっきり菓子作りの腕を上げた天使様お手製のアップルパイは、罪の味なんかシナモンで煮溶かした甘い甘いとびきりの誘惑の味がした。

 

 

 

 

 

 

【TQ】誰がために鐘は鳴る

 

 

 

 ──ピッピッピ、と左腕のダイバーズウォッチがアラームを刻む。
 何か忘れ物を思い出したかのようにストップボタンを押しながら、実際記憶にないのだが、一時間前のアラームはいつの間に鳴っていたのだろうと、その特徴的な片二重をほんの少し寄せて、真田はじっと物云わぬ液晶画面を眺めた。
 表示時刻は〇五〇〇。何かと只では終わらない六隊にしては、驚異的に静かな朝と云えるだろう。

 

 『真田が当直の時は必ず出動がある』──と、海上保安官としてはある意味大変不謹慎なジンクスを持つ隊長を仰ぐ六隊隊員にとって、昼過ぎ早々に出動はあったが、七管との場所もありガルフを使用した到着の早かった甲斐があって、船舶は転覆しているものの、ひとりを除いて海面に投げ出された船員達は、身に着けたライフジャケットのお陰でぷかぷかと浮いたままさほど衰弱も見られなかった。
 船内に取り残された要救助者の捜索は、石井と安堂の二人が問題なく船外へと確保し、高嶺による診断にて大きな怪我や異常もない事から、他の船員達と一緒に支援船から廻された警救艇へと引き継がせ、いつもと云えばいつも通り、誰ひとり犠牲者を出す事なく無事レスキューは終了した。
 時間にして現場にいたのは三十分もなかっただろうか。往復の移動を含めても三時間程の出動は、体力自慢のトッキュー内でも群を抜く数値を誇る真田や、穏やかなそぶりを見せつつ、あれでいて数々の修羅場をくぐっている高嶺にとってはどうと云う程の事でもなかったが、言葉少ない真田の指示と行動に不慣れな若手には大層な出来事であったらしく、ウェットスーツの塩抜きや資器材のメンテナンスを済ませ、夕方のストレッチを終えてからは、「何かあったらすぐ起こすから」との副隊長の言葉にようよううなづいて、目の下にげっそりとクマを作ったまま仮眠室へと消えていった。
 今の内だけどね、とふらつく後ろ姿を見送って、こちらは些かの疲労も見て取れない自隊隊長へと向き直る。
「隊長もお休みになられますか? 天気図を見る限り、今夜は比較的静かに終えられそうですよ」
「高嶺は?」
「今週末までの書類が少々溜まっておりますので、一区切りつくところまで作業してから休ませていただこうと思っております」
「そうか、すまないな。では先に休ませてもらう事にしよう」
「四時間程しましたら交替をお願いします。神林君達はちょっと疲れてしまったようですし、今夜は眠らせてあげては如何ですか?」
トッキューとしてはまだまだだな」
 穏やかな高嶺の言葉にも、真田は生真面目に苦言を返す。
 いつ何時と云えどレスキューから離れられない融通の利かなさに、ロボとも噂される真田らしいと、高嶺が微かに笑った。
 このレスキュー一筋の頑固ロボに、対象が限られるとは云え、愛情や気配り、思いやりなどの人間らしい感情をインストールしたのだから、全くもってかつての副隊長殿はたいした人物だと思う。
「憧れの『神兵』との出動に気疲れしたんでしょう。その内慣れますよ」
「出動が掛かったら」
「それは大丈夫です。そのぐらいは弁えてる筈ですし。さ、仮眠室へ向かわれるならお早くどうぞ。私も仕事に戻ります」
「了解した。それでは頼む」
「お休みなさい」

 静まり返った事務所に、高嶺が叩くキーボードの音だけがさざ波のように響く。普段もこれほど静かならば、よっぽど事務処理も捗るだろうとは思うが、それはトッキューじゃないなと思い直して、相変わらず騒がしい隊員二人を思い出す。
 功績見事な「神兵」と云えど、飲み食いもするし失敗もする。出来ない事だってあるし、恋にも悩む。きっと彼等には想像も出来ないだろう。
 「憧れ」ている内は彼を越える事など出来ない──その事に、あの二人が気付くのはいつの事だろうか。
 先程確認した天気図からの見立て通り、小さな室内という内海に、不粋なコール音が鳴る事はなく。
 睡眠を摂る事も義務と心得ているのか、その眠りにタイマーでも付いているのか、予定通りに仕事の目処を付けた高嶺が仮眠室に向かうより早く、今の今まで寝ていたとは思えない明瞭さで真田がデスクに戻って来た。

「おはようございます」
「おはようございます真田隊長。今丁度起こしに行くところでした。もう仮眠はよろしいので?」
「ああ、しっかり休ませてもらった。俺もこれから報告書を書き上げてしまうつもりなので、高嶺もゆっくり休んでくれ。作業がてら俺がこのまま起きていよう」
「ありがとうございます。それではよろしくお願いします」
「了解した。お休み」
 当直は午前九時をもって次の隊と交替するが、いろいろと引継事項もあるので、遅くともその一時間前には皆基地に顔を揃えているのが常だ。交替前に先程の書類をもう一度チェックするにしても、真田と同じく数時間は睡眠を確保出来るだろう。
 飲み終えたマグカップを行き掛けの給湯室で洗いながら、部屋を出る際の会話にふと顔が綻ぶ。
 報告書の作成といっても本日出動のものだ、提出期限にはまだ数日の余裕がある筈で。特に難しいケースという訳でもなかったから、明日の非番を飛んで明後日の作成でも十分間に合う筈のそれを、どうして今夜の内に仕上げてしまおう等と思うのか。
 必ずという訳ではないが、疲労回復と体調管理の意味合いもあって、大概当直明けのローテーションは非番に充てられる。実際今夜当直に当たっている六隊も明日(もう今日か)の○九○○からは非番の予定だ。その後は防基での訓練となっているから、数日は緊張から解き放たれると云えるだろう。六隊と交替するのは三隊だから、今回については丁度非番の日が一日ずれて並ぶ事になる。
 ひよこ達への言動からは想像も及ばないだろうが、鬼軍曹の異名を誇る三隊隊長は、あれでいて仕事に対してはロボに負けず劣らず職業意識が高い。その実年齢を豪快に裏切っている若々しい容貌とは裏腹に、「近頃の若いもんは」とさらりと云ってしまう程、日本人らしい古風な考えを保持している彼にとって、非番くらいでなければ感情に任せた無理などそうそう許しはすまい。相手に仕事が残っているというなら尚更だ。
 今頃、我等が隊長殿は何を思ってキーボードを叩いているのやら。


「ワケ分からんように見えてな、結構ガキっぽいとこあるんやで」
 ──またぎゃあぎゃあ騒ぎよるから、あいつ等には内緒な。

 いつだったかの飲み会で、握った拳でぐいぐいと口許の泡を拭いながら、悪戯っぽく笑った彼の目はとても優しくて。
 くるくると動き回る栗色のくせ毛は、座敷奥から届いた通りのよい低い声に呼ばれて、まるで水に飛び込むような自然さで隣に滑り込んでいった。
 矢継ぎ早に話し掛けながら周囲の絡みを上手に流し、汚れた皿や空ジョッキを後方へ下げると同時に、空いた皿へ小綺麗に料理を取り分けてゆく。真田の好物ばかりをさりげなく確保収集しながらも、栄養バランスや彩りまで整える技はいっそ見事と云う他はない。
「なんやたいちょお、あんま進んでへんやないですか。腹具合でも悪いんでっか? 肝焼き好きじゃなかったでしたっけ」
「いや。今日は昼を食べる時間が取れなくて」
「ああそうですね。そんならそれなりに食べてから飲んだ方がいいでしょ」
「ああ、だが食事としてなら」
「…ちょっ! 隊長! ストップ!」
「シマがいるのに、一緒じゃないのがつまらなくて」


 何でああいう時は、どんなに騒がしく飲んでいても、不思議と静まり返るのだろう。
 静まる瞬間を選んででも言葉を発しているのだろうか。
 ──シマには毎度毎度ご愁傷様とは思うけど──と、さらりと人事に流して、洗い物に濡れた手を拭く。

 水切りラックに置いたマグの角度を少し直して、高嶺は大きく伸びをした。
 後でも間に合うものを、ばたばたと仕上げに掛かる真田の行動は、ご褒美が欲しくて母親の手伝いをする子どもと同じ原理だ。きっと真田の事を心配していろいろと尋ねるだろう想いびとに、胸張って「大丈夫」と云う為に、ひとり黙々とキーボードを打っている。

「…うまく思い通りにいけばいいんですけどね」

 いじらしい程に頑張っている真田には悪いが、数日前に偶然すれ違った嶋本は大層機嫌が悪かった。只でさえ鋭角を描いている眉がキリリと釣り上がっていて、頭の角は勿論の事、ひよこでなくとも後ろ向きで逃げ出したい雰囲気をどろどろと醸し出していたのは未だ記憶に新しい。
 短気なタチではあるが、仕事とプライベートはしっかり分ける性格なのは熟知している(そうでなければとてもトッキューなど務まらない)。その嶋本があれだけ職場で怒っているという事は、当然その理由は仕事に関する事の筈で、怒るだけ怒って発散したら後には残さないのが常である鬼軍曹が、ああまで内外に怒りを持続させる原因は、哀しいかなごくごく限られていた。
 自分に飛び火する事のない気安さで「どうしたの」と問えば、怒涛のごとく滔々と吐き出された内容に思い当たりがありすぎて、最後まで「そうだね」としか云えなかった。一体他にどうと云えばいいのか。
 六隊隊員としては自隊の隊長に味方するべきなのかもしれないが、嶋本が怒る内容が内容であったし、正直なところ自分も些か「あれはどうかな」と思っていた出来事だったので、そこはすんなりと「部下」から「友人」である自分に座布団を譲った高嶺であった。

「さて私も休ませてもらいましょうか」

 明日の当直は三隊への引継だ。あれ以来嶋本率いる三隊とは微妙にすれ違っていたから、明日の交替で久し振りに嶋本の顔を見る事になる。
 隊長たるもの遅刻等とは考えられず、逆に人一倍責任感の強い彼の事、厄介事は早々に片付けるべく、きっと朝早くからその怒りの原因を捕まえるだろう。最終的には仲介に入らねばならないだろうが(神兵と鬼軍曹の間に割って入るなど隊長クラスでもようようしない)、それまでの間、自主的に頑張る真田に電話番を任せて、ゆっくり眠らせてもらっても罰は当たるまい。
 火の元を確認した給湯室の明かりをぱちりと消して、さてどの辺りが空いているかなと呟きながら、高嶺はゆっくりと仮眠室へと歩き出した。

 

 ───夜明けのラッパは誰が吹き鳴らすのか。
 恋を取り持つキューピッドでない事だけは確かなようだった。

 

 

「…おはよおございますさなだたいちょお」
 

 

 

 

 

【雑文】

 

 


[chapter:■004:白い花■]


 ───切り立った崖の中腹に、小さな白い花が咲いている。


 それは、以前にたった一度、友人からもらって、そして、枯らしてしまった花だった。
 大事にしていたつもりだったのに、惰性からの思い上がりで、枯らしてしまった花だった。


 ───あの時と同じ白い花が、崖の中腹で揺れている。


 下から手を伸ばしても届かない。………梯子を昇れば届くだろうか?
 上から身を乗り出しても届かない。………岩肌を伝って辿り着けるだろうか?

 手に入れたとして、どうする? と、脳裏でもう一人の自分が囁く。

 以前よりもっと大切にしようと、大事に大事にガラスケースに入れて、
 そうして又、私は花を枯らしてしまうんだろうか。
 それとも「今度は大丈夫」とおざなりに扱い、
 そうして又、私は花を枯らしてしまうんだろうか。

 そもそも花は、私の手元に在るべき花なのだろうか?
 欲しいと願うその愚行こそが、ひっそりと咲く花を枯らすのだろうか。


 ───切り立った崖の中腹に、小さな白い花が咲いている。


 焦点定まらぬ眸で見上げていたら、
 道往く優しいひとが、土ごと掘り返して私にくれた。

 「大事にしましょう?」と、そう、云って。
 手を振り立ち去る背中をぼんやり見送った。

 手放したくない、見つめていたい、大事にしたい、枯らしたくなんかないのに!

 植え替える事も、崖に戻す事も出来ぬまま、
 花は今も、私の手の中で揺れている。

 このままでは枯れてしまう、解っていても。
 流す涙しか、与える事は出来ずに。


 ───切り立った崖の中腹に、小さな白い花が咲いている。

 
 恐る恐る開いた両の手の平には、
 地面を掻きむしったんだろう傷と、土汚れが少し。

 この手に咲いていたかのような、長い長い夢を見ていたんだと気付いた。


 ───切り立った崖の中腹に、小さな白い花が咲いている。
 ───あの時と同じ白い花が、崖の中腹で揺れている。


 汚れた手を届かぬ花へと翳し、咲き続ける花に、安堵して。


 ───切り立った崖の中腹に、小さな白い花が咲いている。


 下から手を伸ばしても届かない。
 上から身を乗り出しても届かない。


 ───あの時と同じ白い花が、崖の中腹で揺れている。

 
 覗き込んだ時ぱたりと落ちた、涙ひとつ花弁を伝うのが見えたような気がした。

 

 

 

[newpage]

 

 

[chapter:■007:手を繋いで■]


 手を繋いで 君と眠ろう
 繋いだままで 朝を 迎えよう

 手を繋いで 君と歩こう
 繋いだ手に そっと 口付けた

 絡む指先と 感じる温もりで
 伝えられたらいい 君が好きだと

 何も云わずとも 繋いだ手の
 強さと痛みで 信じてほしい

 君が好きだと 大切なんだと

 撓むシーツの海に 微睡む君と
 微かに耳朶を打つのは 細い吐息だけ

 公園までの小道 君は照れるけど
 僕は叫びたい気分さ 君が好きだと

 君が好きだと 愛してるんだと

 手を繋いで 君と踊ろう
 月明かりのワンフロア 夜通し廻ろう

 手を繋いで 額合わせて
 キスをしようよ? さぁ眸を閉じて

 君が好きだと 君だけが好きと

 手を繋いで ほら 繋いだままで

 

 

 


[newpage]

 

 

[chapter:■008:うた■]

 

 

 夢から覚める瞬間 記憶を横切るように
 思い出す ひとがいます

 もう二度と逢わないと決めて 背を向けた
 大切で大好きな ひとがいます

 「今、何をしてますか?」
 「あなたなら、どう、しますか……?」

 声に出さず眸を瞑り 問い掛けて

 通り過ぎ 髪を巻き上げる 風の音に混じり
 聞こえる筈もない 声を聞いたような

 そっと呟くのは あなたの名前

 いつも胸の 奥で 微かに響いている
 あなたの声と ゆっくりと掠れるメロディ

 古い古い うたのように
 RAMメモリのランダムアクセス

 もう思い出せなくとも

 古い古い うたのように
 今も 一番奥で 流れ続けてる

 古い古い うたのように
 繰り返し絶え間無く 祈り続けてる

 古い古い うたのように

 

 

 

[newpage]

 

 

[chapter:■011:同じ空の下■]

 

 

 

 「………それじゃあ、またね?」

 そう云って手を振った、でも、きっと、
 ───もう二度と逢えない。

 あの日の小さな確信が、今も胸に疼いてる。


 白く塗られた壁、白い部屋。
 清潔なシーツをくしゃくしゃに握り締めて、
 捕われて見上げた、切り取られた四角い空。

 ───あの日と同じ青。


 あの空の下、あなたは静かに笑ってくれているでしょうか。

 同じ空の下、あなたも同じ青を見上げてくれるでしょうか。


 ごめんね?
 誠実で優しいあなたに、一つだけ、嘘を付いた。
 ごめん。
 騙されてくれたあなたへ、謝る事すら、出来ない。

 

 


[newpage]

 

 

[chapter:■014:手紙■]


 
 もう幾度、あなたへこうして手紙を書いただろう

 「ごめんなさい」
 「ありがとう」
 「さようなら」
 「元気でね」

 ───たった四行の手紙

 かつて傍に居てくれたあなたへ
 ひとを大事に想う事を教えてくれたあなたへ

 ───もう今は 逢う事も叶わないだろうあなたへ


 便箋を折り、封筒に入れて
 ────覚えてしまった住所、切手は貼らず

 ポストに投函する代わり、ダストボックスへ───とすり


 精一杯の私の気持ちは
 明日の朝にはゴミ収集車が回収して行くだろう

 なんてお似合いの結末


 そうしてまた数日後、──数カ月後、───数年後
 私はあなたへ同じ手紙を書くのだ

 たった四行の手紙

 「ごめんなさい」
 「ありがとう」
 「さようなら」
 「元気でね」

 ………たったそれだけの手紙
 ……………たったそれだけの言葉

 けれど、
 何万語を費やしてもきっとあなたには伝えられないし、伝わらないから

 「ごめんなさい」
 「ありがとう」
 「さようなら」
 「元気でね」

 たった四行の手紙

 それだけが、今の私に書ける言葉
 ─────大事な大事なあなたへの手紙

 

 

 

 

【SSS−03】

 

 


[chapter:■009:おひるごはん■]


 休日の晴れた日には 庭の木陰にシートを引いて
 大きなバスケット一杯に ぎゅうぎゅうに何を詰めようか?

 サンドイッチにコールスロー フライドチキンに手作りのピクルスだって
 昨日から仕込んだバゲットも そうそう 美味しいお水も忘れちゃいけない

 特別なものは 何一つ 要らないから
 (リビングからポット持ち出しますね)
 その代わり 僕の傍で 僕と一緒に
 (御願いだから、手伝うよりも其処に座ってくれる?)

 たわいのない 自宅の庭のお手軽ピクニックでも
 あなたが居てくれるだけで ほら 最高級のフルコースになる

 インスタントコーヒーと 汲み上げたばかりの清水と
 それだけでそれなのに ほら カップ鳴らして乾杯しましょう?

 僕たちの おひるごはんに
 良く晴れた 休日の正午に

 そして相変わらずな 不器用で 誰より優しい 
 照れ隠しでこっちを見ない 僕だけのあなたと あなただけの僕に

 あなたと一緒の 今この瞬間に

 

 

[newpage]

 


[chapter:■010:海■]


 深く暗い水の底から、キミの姿は見えるだろうか

 さざめく波音を頭上に聞いて
 深く深く潜ろう 誰も居ない場所へ

 舞い散る事なき砂を踏み締め
 歩けるだろうか? 光すら届かぬ地で一人

 キミの貌が見たい
 けれど逢えば引き寄せずにはいられない

 キミの声が聴きたい
 けれど聴けば抱き締めずにはいられない

 雲無き空に満ちる月だけが夜を渡る
 渺と奔る風だけが海面をなぜてゆく

 触れずにはいられない ならば
 熱に浮かされ手を差し伸べても ほら キミに届かぬ地に往こう
 夢の中でキミの名を叫んでも そう 韻すらキミに聞こえぬように

 原初の闇の中、白いだけの砂浜
 古より変わらぬ過ぎゆく 月よりも遠い世界で

 男が立つは 深遠に一人
 彼の人が座すは 静かの海

 

 

[newpage]

 


[chapter:■012:安らぐ場所■]


 やすらぎ【安らぎ】………平和で満ち足りた気持。
 へいわ【平和】………心配・もめごとなどが無く、なごやかな状態。
 なごやか【和やか】………怒った顔色やとげとげしい空気が見られず、親しみが感じられる様子。
 したしみ【親しみ】………親しい感じ。
 したしい【親しい】………お互いに気心が分っていて、遠慮なくつきあえる状態だ。
 きごころ【気心】………(お互いに分り合えるかどうかという観点から見た)人の気持や性質。

 

 ───最初から、自分に居場所など無くて。

 「安らぎ」だとか「平和」だとか、そんなモノは脆弱なヒトの戯言に過ぎないと思っていた筈で。

 自分の居場所が無い事にすら気付かず、かつて世界を欲した昔。
 自分を遺した者の遺志もあろうが、………本当は、「世界」に重ねて何を欲していたのか。

 誰も自分を知らない、必要としない、名前も呼ばない、………そんな「世界」で。
 力と恐怖で世界中の人々を制圧して、自分は何をしたかったのだろう。何を望んでいたのか。

 誰も呼ばない自分の名前─────呼ばせたかったのだろうか。例え無理矢理にでも。
 世界に何の要求も無かった─────知らせたかっただけなのだろうか。誰も呼ばない、自分の名を。

 たったそれだけが望みだったのだろうか。自分を見ない「世界」に。自分を呼ばない「ひと」に。


 ───窓ガラス越し、見上げた月は何も云わない。
 雲一つ陰らない晴れた夜なのに、何故か星の瞬きは一筋も見定める事は叶わず。

 タールを溶かし込んだかのような夜の闇に、無言でただただ浮かぶ、上弦の月


 「………………眠れないの?ピッコロさん」

 小さく掛けられた声にふと今のこの場を認識する。
 カーテンの隙間から漏れ差し込む月明かりが余りに幽けく、そして眩しく。
 ただカーテンを直すだけのつもりで、悟飯を起こさぬようそっとその腕から躯を抜いたつもりだったのに、我知らず物憶いに捕われていたらしい。

 何かに呼ばれたような気がして眸が覚めた。───呼んだのは、月か、過去か。

 「………何でもない。ちょっとカーテンが乱れていただけだ」
 「─────まだ、起きるには早い。……もう少し、眠りましょう………?」

 自分達以外誰が聞いている訳でもないのに、囁くよう声が、微かに笑う。
 振り返れば、常より大きなベッドの枕に片肘を付いて身体を起こし、何も問わない貌で自分を見つめる青年が一人。
 明日も出勤を控えている青年の、ほんの僅かのさまたげにもなりたくなくて、そっとそおっと抱く腕を外したつもりだったのに、その表情から、黙って笑う青年が初めから気付いていた事を知る。
 
 微かに漏れた溜息の所以は自分にも解らないまま。

 「………眠りましょう?……………………ほら」

 横向きに身体を起こした姿勢のまま、青年が黙って毛布を捲りあげる。─────そのままぽんぽんと大きな手がシーツを叩いて。

 何か考えるよりも一歩、青年のベッドへ踏み出した自分に、ピッコロは今更何の違和感も見出せなかった。そのままするりと青年が上げた毛布の隙間に滑り込み、剥き出しの肌に触れるシーツの冷たさと、黙って自分の肩を抱く青年の体温の高さに、自分の身が冷える程の時間、青年も自分を見ていたのだと云わず知らされる。
 
 ───何か云うより早く、想うより先に、心がその熱に解かれてゆく。


 「……………朝まで、こうしていましょうね……………」


 何も云えず、黙って眸をつむってしまったけれど、それでも青年には十分な筈だった。
 昔は片手で掴めた幼子の、これだけは変らぬ温かく優しい感情が、ひたひたと心に寄せては満ちてゆく。


 ───名残を惜しむかのよう、月に今一度呼ばれた気がしたけれど。

 ─────包まれる熱に、何を考えていたのか忘れてしまった。

 

 あんしん【安心】………心配が無くなって気持が落ち着く様子。

 

 ※語句説明………三省堂新明解国語辞典より抜粋

 

 

[newpage]

 

 

[chapter:■013:心音■]


 
 …………とくん、…………とくん、と耳朶を打つ響き。
 笑い、泣き、怒る、───それは生命の脈動。

 ───生きている、胸の太鼓。


 眠るあなたを抱き締めて、滑らかな胸元に耳を寄せる。
 静か静かに、それでも確かに、止む事なく響く鼓動に泣きそうになる。


 ───今だって夢に見る、
 視界を灼く白光、逆巻く風、肌を刺すエネルギー、───立ちはだかった、背。

 ……………飛び起きては声を殺し。

 食いしばった歯は唇を破り、
 握り締めた指は手の平を裂いて。

 あの日あの瞬間の自分に、今日の日の力が在ればと。

 ───どれだけ泣いて願っても、
 砂時計の砂が溢れるように、あの日この手から滑り落ちた生命。

 ───「時」が止まった、あの、「瞬間」


 頬で腕で全身で感じる、自分より少し低い、それでも確かに暖かい身体。
 ───生きている、あなた。

 ─────それだけで、嬉しい。
 ─────それだけが、嬉しい。


 知らず抱き締めた腕に力を込めれば、
 とくん、とくん、と規則正しく聞こえていた鼓動が慌てたよう急いて。
 ついと貌を上げ覗き込んだ恋人の、深紅の瞳孔だけがひたと合う。

 どきどきどきどき。

 「………………………起こしてしまいましたか?」
 「……………別に」

 ───にこりともせず云い放つ、その言葉はそっけなくとも。

 どきどきどきどき。

 「………………大好きですからね、ピッコロさん」

 ───どき。

 「………………いい加減聞き飽きた」

 どきどきどきどき。

 「………ピッコロさん、何も云わなくても正直なんだから」

 ───どき。

 「………………知らん」

 どきどきどきどき。


 暖かい身体、生きているあなた、───大好きなあなた。
 スタッカートのリズムに変わる、その鼓動すら僕には愛しい。

 

 


[newpage]

 

 

[chapter:■044:君の、となり■]

 

「お前………どうしたんだ? それ」
「キレイでしょう?」

 ただいまのキスもそこそこに差し出されたのは───両手一杯の、桃の枝。


「今日は雛祭りで桃の節句ですからね。やっぱり桃の花がなくっちゃ!」
「だからといってこんなに切ってくるヤツがあるか」
「大丈夫ですよ。これは大学の温室で育てている桃で、この時期に合わせて剪定して切ったものですから」
「温室?」
「ええ、桃を研究しているグループがあって、その人たちが育てているんですよ。すごいですよー! 今研究棟は桃だらけです」
 教授たちもたくさん持って帰ってましたよ、とネクタイを外しながらにこにこ笑う悟飯は本当に楽しそうで、昼間に掛かって来たチチの電話にピッコロは成る程と一人納得した。

『あの子は小っせえ頃から雛祭りが好きでなぁ。オラんちには女の子は居ねぇだのにいっつもはしゃいでな、オラがお父から貰った雛人形飾ってやればいつまでもじーっとご機嫌で眺めてるだ』

「僕ね、雛人形ってすごく好きなんですよ」
「らしいな。チチから電話があったぞ。取りあえずちらし寿司は準備したが、アレでいいのかオレは知らんからな」
「ピッコロさんの手作り?」
「他に誰が作るんだ誰が。デリバリー買いに行くより作った方が早いだろうが」
「やった! いいぞいいぞ〜桃の花にちらし寿司もあってちゃんと雛祭りだ! こんな事ならやっぱり雛人形買って来たら良かったなぁ」
「ウチに『オンナ』は居ないだろうが。大体なんでそんなに『雛祭り』とやらが好きなんだ」
「だって憧れだったんですよ」
「憧れ?」
「お内裏様とお雛様がキレイな格好で並んで座ってて、いろんな縁起物に囲まれて、何だかすごく『らぶらぶ』な感じがするじゃないですか」
「………………そうか?」
「ウチはお父さんがアレでしたからね………お母さんも結婚写真とか家の中に飾ってなかったし、でもお爺ちゃんが雛人形は飾ってくれて」
 ………………まぁ確かにアレだ。仲は良いが憧れにはなりにくい。
「………並んで座ってるお雛様を見ながら、絶対ピッコロさんをお嫁さんに貰うんだって、ピッコロさんにお雛様になってもらうんだって、思ってた」
 ………………聞かなければ、よかった。
「どうしよう、今からでも雛人形買って来ようかなぁ」
「………雛人形なら、ある」
「え?」
 がっかりするだろうけど。
「チチに人形はあるかって聞かれて、無いと応えたらすぐに持って来やがった。メインの人形だけだがな。テレビの上に飾ってある」
「さっすがお母さん! じゃあもうばっちりですね!」


 ガチャッ!

「なぁ!」
「───ッ!!!」
「……………」
「なっこ、これ………!」
あーすまん。そんなに壊れ易いものだとは思わなくてな」
「みゃっ!」
「………そんなぁ」
「一回取れる事を覚えたらもうずっとお気に入りでな」
「なーん」
「僕の………うう………」


 リビングへと続くドアを開けた二人の視界には───。
 大皿一杯のちらし寿司と、
 ほんわりと良い匂いを漂わせているすまし汁と、
 ソファの向こう、テレビの上にちんまりと飾られているお雛様と、
 足元に転がる首無しのお内裏様………と、思しき物体と、
 胸を張り、尻尾をぴんと立てた得意気な金色の子猫。


 その後、涙で気持ち塩辛いちらし寿司を完食したお内裏様が、小さいながらも一軒家の大捜索を敢行したが目的のものは見つからず、雛祭りを過ぎること三日後、「ソレ」は数えきれない程の咬み痕と共に小さな寝床の下から発見されたのだった。

 

 

 

 

【ちいさなこいのうた2】

 

 


■ちいさなこいのうた 2

 


 ひろいうちゅうの かずあるひとつ あおいちきゅうの ひろいせかいで
 ちいさなこいの おもいはとどく ちいさなしまの あなたのもとへ


「やーいい式でしたね! 嫁さんは綺麗だし飯は旨かったし!」
「そうだな」


 あなたとであい ときはながれる おもいをこめた てがみもふえる

 
 所々に街灯が灯る住宅地の道を二人並んで歩く。
 綺麗に晴れた夜空には、ほんの少し傾いた月がぽっかりと浮いていて、アスファルトに並んだ影を思いの他はっきりと浮かび上がらせていた。


 いつしかふたり たがいにひびく ときにはげしく ときにせつなく


 本日めでたくお披露目となった同僚兼後輩兼教え子の華燭の典は、安定した生活を望むうら若き女性陣と、日頃のむさ苦しさの鬱憤をここぞとばかりに晴らそうとする独身公務員に囲まれて、騒がしさには馴れている筈の宴会担当者にして「もう暫く筋肉は勘弁願いたい」と云わしめた一幕に終わった。
 当然体力と肝臓には自信がある海上保安官としては、祝い事なら尚の事、二次会三次会もどんと来い! と云いたいところであるが、いかんせん待機の身の上ではせっかくの宴に飲酒もままならない。
 非番を誇って片端から杯を干していく同僚を無言でねめつけながら、心ばかりの祝いを贈って一次会で座を辞した二人であった。

「狙った笑いも長倉のお陰でそこそこ取れたし、これでこんまま呼び出しがなければ云う事なしや!」

 アルコールが入っている訳ではないが、場の雰囲気に酔ったとでも云うのだろうか。ひやりとした夜の冷気がほてった頬に気持ちよい。
 これでも可愛がってやったつもりのヒヨコの門出に、誘われれば嫌とは云えない長倉を引っ張りこんで選んだのは定番通りのラヴソング。
 「おめでとう」「幸せに」と祝う気持ちは嘘じゃない。日に焼けた顔をどす黒く赤らめて照れていた教え子に、これからの幸せを願ってやまないのは本当だ。

 ───ただ少し、羨ましくもあった。
 好きだと告げて、気持ちを通じ合わせる奇跡を、当然の権利として持っている彼らを。


 ひびくはとおく はるかかなたへ やさしいうたは せかいをかえる


 披露宴へは真田も共に招待されていたが、当然バディである二人の事、席も隣同士で手配されていて。
 独身でスタイルもよく、安定した高収入の色男となれば、さぞや新婦側の友人が色めき立つだろう事は想像にたやすい。
 嶋本が見る限り、真田が積極的に異性と関係を深めようとはしていないようだが(素っ気ないのは単なる天然だ)、ここぞとばかりに着飾った女性陣にアピールされて嬉しくない男はいないだろう。
 脳裏に浮かんでしまった「柔らかい笑顔で談笑する真田」に胸が痛くなってしまって、自分達の出番が来るやいなや、長倉をマイクスタンドまで引きずった。

 祈り、願い、届けとうたう恋唄は、ともすれば自分に重なって思えてしまい、思わず自分の中の何かが零れそうになるのを、緊張からかぎくしゃくと音を外す長倉が救ってくれて。会場をどっと沸かせる笑い声に、自分の在るべき立場を自覚して、後はただ届けと歌に祈りを込めた。


 あなたはきづく ふたりはあるく くらいみちでも ひびてらすつき
 にぎりしめたて はなすことなく おもいはつよく えいえんちかう


「ああでもちょっと驚いた」


 えいえんのふち きっとぼくはいう おもいかわらず おなじことばを


「嶋本は歌が上手いな」
「そおですかー? まぁ上手いのなんて上見たら切りがないし、ああいう場ではノリを確保する方が重要っすよ隊長」
「そんなものか?」
「そんなものです。感動は親御さんに置いておいて、同僚なんてもんは笑いを取ってナンボでしょ! あないに音外すなんて長倉の奴ええ仕事しましたわ!」

 どうか健やかに、どうか幸せに。いつでも笑ってて。辛い事などおきませんように。あなたがあなたのままで、いられますように。
 あなたの幸せを、ただそれだけを願うから。

 叶うだなんて大それた望みは持っちゃいない。
 それでも願いや祈り、目に見えないそんな気持ちがあなたを少しでも護るなら。
 ただ届けと願う。届いてそうして消えてしまうだけの祈りでも、それが少しでもあなたを護る事が叶うなら。
 
 けして赦されない想いでも、自分はそれを誇って心に抱き締め続けるから。

 いつの日か、愛する女性の手を取るあなたの幸せを、今日の日よりも何よりも、誰より深く、祈るから。


 それでもたりず なみだにかわり よろこびになり


「練習はしなかったのか」
「時間合いませんでしたしねー。最近まで遠距離て聞いたからあの曲に決めたぐらいで、後はぶっつけ本番ですわ」

 いつか未来のその日が来たら、誰よりおかしい道化になろう。 
 あなたがつい笑ってしまうような。愛する誰かと笑い合えるような。


 ことばにできず ただだきしめる ただだきしめる


「でも上手かった。いい曲だと思うしあのまま覚えてしまいそうだ」

 いいきょく。
 うん、いい曲ですよね。だから選んだった。俺にはちょお切ないけれど。
 あなたも歌うんかな? これから出会う誰かに向けて。
 
「たいちょも歌うんすか! 今度是非聞かして下さいよ!」
「練習してからな」

 れんしゅう、だなんて本当に真田らしい。
 でもせやな、隊長なら何でも訓練しそうやから、バディとして付き合ったらんと。

「たいちょ、実はカラオケとかよく行かはるんですか?」
「いや、それはないな」
「だが、シマが歌っているのを聞いてたら、すごく楽しそうでいいなと思ったんだ」
「へへ、大声出すんはストレス解消にもいいんですよ」

 歌に乗せて、云えない気持ちをたまには外に出してやらないと、
 零れて溢れてきっと壊れてしまうから。

「そうか、じゃあ今度カラオケとやらに行ってみようと思うが、付き合ってくれるか?」
「もっちろんです隊長! 今のカラオケは昔と違ていろいろ種類あるんですよー」

 あなたの想いを分けてもらえますように。応援させてもらえますように。
 俺はこの場所を本当に誇りに思っているから。


 ゆめならばさめないで ゆめならばさめないで
 あなたとすごしたとき えいえんのほしとなる


 こんな歌詞だったか、と低い声がメロディを紡ぐ。
「…ほうら、あなたにとって、だいじなひとほど、すぐそばにいるの」


「…ほえ」
「違ったか? お前の云う笑いを取るのは難しいな」
「ちゃいますちゃいます! なんや隊長が歌うと全然別の歌みたいやーって」
「それは褒められているのか?」
「勿論! …でも、そないしんみり歌わはるから、まるでバラードみたいや」
 

 あなたが誰かの手を取るその日まで
 笑ってあなたの幸せを祈るから

 


 ただ あなたにだけ とどいてほしい ひびけ こいのうた

 

 

 

【ちいさなこいのうた】

 

 


■ちいさなこいのうた

 


 ひろいうちゅうの かずあるひとつ あおいちきゅうの ひろいせかいで
 ちいさなこいの おもいはとどく ちいさなしまの あなたのもとへ


「やーいい式でしたね! 嫁さんは綺麗だし飯は旨かったし!」
「そうだな」


 あなたとであい ときはながれる おもいをこめた てがみもふえる

 
 所々に街灯が灯る住宅地の道を二人並んで歩く。
 綺麗に晴れた夜空には、ほんの少し傾いた月がぽっかりと浮いていて、アスファルトに並んだ影を思いの他はっきりと浮かび上がらせていた。


 いつしかふたり たがいにひびく ときにはげしく ときにせつなく


 本日めでたくお披露目となった同僚兼後輩兼教え子の華燭の典は、安定した生活を望むうら若き女性陣と、日頃のむさ苦しさの鬱憤をここぞとばかりに晴らそうとする独身公務員に囲まれて、騒がしさには馴れている筈の宴会担当者にして「もう暫く筋肉は勘弁願いたい」と云わしめた一幕に終わった。
 当然体力と肝臓には自信がある海上保安官としては、祝い事なら尚の事、二次会三次会もどんと来い! と云いたいところであるが、いかんせん待機の身の上ではせっかくの宴に飲酒もままならない。
 非番を誇って片端から杯を干していく同僚を無言でねめつけながら、心ばかりの祝いを贈って一次会で座を辞した二人であった。

「狙った笑いも長倉のお陰でそこそこ取れたし、これでこんまま呼び出しがなければ云う事なしや!」

 …狙った笑い、というのが果たしてあの阿鼻叫喚の最中で一体どれに当たるのか真田にはとんと分からなかったが、嶋本の口から出た名前に、改めて脳裏でリフレインするメロディを思い出す。


 ひびくはとおく はるかかなたへ やさしいうたは せかいをかえる


 長倉と肩を組んで歌われたのは、場所柄としては当然であろうありふれたラヴソングであったが、喧騒の中でも不思議と通りのよい嶋本の声で歌われた恋歌に、とくんと心臓が鼓動を早めたのは偶然じゃなくて。


 あなたはきづく ふたりはあるく くらいみちでも ひびてらすつき
 にぎりしめたて はなすことなく おもいはつよく えいえんちかう


「ああでもちょっと驚いた」


 えいえんのふち きっとぼくはいう おもいかわらず おなじことばを


「嶋本は歌が上手いな」
「そおですかー? まぁ上手いのなんて上見たら切りがないし、ああいう場ではノリを確保する方が重要っすよ隊長」
「そんなものか?」
「そんなものです。感動は親御さんに置いておいて、同僚なんてもんは笑いを取ってナンボでしょ! あないに音外すなんて長倉の奴ええ仕事しましたわ!」
 見直したわーあいつそっちの才能あるんちゃうん? と、縁石の上を綱渡りよろしく両手を広げて辿る嶋本は、真田と同じく一滴のアルコールも摂っていない筈なのに、駅で降りてからのそれなりの距離を終始ご機嫌にけたけたと笑っている。


 それでもたりず なみだにかわり よろこびになり


「練習はしなかったのか」
「時間合いませんでしたしねー。最近まで遠距離て聞いたからあの曲に決めたぐらいで、後はぶっつけ本番ですわ」
 あれなら長倉も覚えてる云うたし! と叫んでくるりと一回り。本当に機嫌がいいらしい。
 ふわふわとなびく栗色のくせ毛につい手を伸ばしそうになって、かろうじて荷を持ち直してごまかす。


 ことばにできず ただだきしめる ただだきしめる


「でも上手かった。いい曲だと思うしあのまま覚えてしまいそうだ」

 本当はもう覚えてしまった。
 嶋本の声で紡がれる言葉なら全て。
 
「たいちょも歌うんすか! 今度是非聞かして下さいよ!」
「練習してからな」

 れんしゅう、と嶋本がおうむ返しに呟いて目を丸くする。
「たいちょ、実はカラオケとかよく行かはるんですか?」
「いや、それはないな」
 カラオケはおろか、人前で歌った記憶なぞ子供の頃からぱったりと途絶えている。
「だが、シマが歌っているのを聞いてたら、すごく楽しそうでいいなと思ったんだ」
「へへ、大声出すんはストレス解消にもいいんですよ」
「そうか、じゃあ今度カラオケとやらに行ってみようと思うが、付き合ってくれるか?」
「もっちろんです隊長! 今のカラオケは昔と違ていろいろ種類あるんですよー」
 そのままだむがどうだとか、どこそこは昼間がフリータイムだとか、一生懸命話す嶋本が嬉しくて。


 ゆめならばさめないで ゆめならばさめないで
 あなたとすごしたとき えいえんのほしとなる


 こんな歌詞だったか、と低い声がメロディを紡ぐ。
「…ほうら、あなたにとって、だいじなひとほど、すぐそばにいるの」


「…ほえ」
「違ったか? お前の云う笑いを取るのは難しいな」
「ちゃいますちゃいます! なんや隊長が歌うと全然別の歌みたいやーって」
「それは褒められているのか?」
「勿論! …でも、そないしんみり歌わはるから、まるでバラードみたいや」
 
 でも、たいちょうがうたうんはええなぁと、嶋本が笑うから。

 


 ただ あなたにだけ とどいてほしい ひびけ こいのうた

 

 

【Blessing】

 

 

 


「──祝福してくれないか? ピッコロ」
「……………祝福?」
「───ああ。神でもあり魔王でもあるお前に祝福してもらえたなら、きっとこの子は世界で一番倖せになれる」

 五月晴れの午後、神殿が位置する上空独特の真直ぐ通る風に靡く髪を押さえながら、静かな確信に満ちた表情で18号は微笑んだ。

 

 『Blessing』

 

 地球の運命を賭けたセルゲームが終わって数年が過ぎ、世界には今までの事など忘れたかに見える穏やかな時間が流れていた。
 セルの手によって失われた生命はドラゴンボールの力で蘇り、破壊された街も以前と変わらぬ復興を遂げ、何時しか人々の口にも忌わしい虐殺の歴史が登る事は見られなくなっていた。恐怖の記憶は決して忘れた訳ではなかったが、敢えて口に出さない事で、知らず歴史の蔭に封じ込めてしまいたかったのかもしれない。燃え盛る炎、立ち上る黒煙、異形の手刀の一閃で消え去った都と人々。風に乗って流れて来る子供の泣き声と、手折られた花、───瓦礫をまだらに染め抜く赫。素知らぬふりして忘れてしまいたくとも到底忘れえぬ血臭。世界の誰もが心の裏側に負った癒えぬ傷に蓋をして、意識的に前だけを見つめていたのかもしれない今日。
 それは逃避では無く、種としての逞しさなのかもしれなかった。個々に於いてはたった100年足らずの寿命しか持たない人々の、生き延びる、生き延び続ける為の強さ。長くはないその生命の中でどれだけのものを次代に残せるか、その人々の切なる願いと、想い。
 それは長い時を渡る異星人の眸には眩しいまでの煌めきと憧憬を呼び起こし、下界を伺う度にそのせわしない倖せを願わずにはいられなくさせるものだった。それ程の強さ、それ程の引力。

 人々の世界を遥か下界に見下ろし、巡る時の流れから置き去りにされたかのようひっそりと佇む神殿には、小さくも心正しい異形の神と旧き知恵持つ黒纏う付人、───そして優しく寂しい魔王が一人。

 変わる事なく過ぎて行く日々に鳥さえ訪ずれぬ蒼天を割き、久しく姿を見る事のなかった金髪の訪問者がその姿を見せたのは何年振りであろうか。
 ───曾て世界に飽いた人形は、今や小さな家で小さな家族となり、派手ではないながらも穏やかに平和な日々を過ごしている筈で。その夫たるクリリンが頭を掻きながら妻の妊娠の報告にこの神殿を訪れたのはつい先日の事。

 ──────倖せなのだと。新しい生命の誕生が本当に嬉しいのだと。

 はにかんで小さな身体を更に所在無さ気に丸めた地球人最強の男は、それでも赤い貌で云い切って笑った。

 相対する関係が変わったとは云えその性格が変わった訳でも無く、相変わらず人付き合いを心安しとしない細君は、気さくな質の夫と違い神殿に遊びに来る事もその訪れる用件も無かったのが常であったのに、たった一人以前と変わらぬ姿で神殿中庭の石畳に降り立った18号は、不思議そうな貌をして見やる神に一瞥だけをくれ、無言で佇む魔王へその願いを告げた。


 ─────「祝福」してほしいのだ、──と。

 

「………クリリンから聞いているんだろう? 実は少し前に妊娠している事が解ってな」
「………………ああ、一昨日だったか、そう聞いた。………間違い無いのか?」
 ───淡々と話す18号の声音にはかつての苛立ちは聞こえない。
 以前耳にした知識によれば、彼等は人の手に寄って改造、生み出された人工の稼動体である筈で。生体パーツも使用していたとしても、戦う為だけにその戦闘力を特化させて開発された構造に生殖・繁殖機能が備わっているとは到底思えなく。
 父親になるんだ、と嬉しそうに照れて笑っていたクリリンに詳しい事を聞くに聞けなかったピッコロは、冷静に語ってみせる女性体についその真偽を問い質す。彼等に繁殖もしくは増殖が可能であるならば、あの日未来からやって来た少年が守った筈の運命も、予想とはまた違う結果に及んだかもしれない事を危惧した為の問いだった。
「間違い無い筈だ。疑うのも無理は無いがな───私だって信じられなかったさ」
 口元に手を充てて小さく笑う。告げた時のクリリンの貌でも思い出しているのだろうか、その声色には可笑し気な響きが混じった。
 あの表情豊かな男がどんな貌をして叫んだのやら、感情に疎いピッコロにとて容易く想像が付いた。───おそらく外れてはおるまい。
「人造人間に体調不良など起こる筈も無いのにな、吐き気が幾日か続いて─────てっきり感覚回路が何処か焼き切れたかと思って、修理してもらうつもりでブルマの処へ行ったんだ」
「カプセル・コーポレーション、か」
「ああ。………彼等父娘に直せなければ、地球上の何処へ行っても無駄だからな」

(───壊れてしまっても、私は構わなかったんだけどな………)
 唇の動きだけで18号が呟いた言葉。

 脳天着な風を装いながらも、実際地球最高の頭脳と科学力を合わせ持つ二人の能力はピッコロも知っていた。パワーで敵と戦う事が無くとも、彼等は彼等なりの戦いで確かに地球を守り、導いた。特にあの娘──ブルマといったか、彼女の選択した運命の有効性に後々眸を剥いた事は一度や二度ではない。異形の自分にももはやこだわりなく言葉を投げるあの威勢の良さ、曾て自分達を殺そうとしていたベジータを伴侶に迎えたその剛胆さからしても徒者ではないなと思い出す。
「何処も破損も故障もしていないのに、逆に今まで見られなかった生命反応が出てると云ってな、調べ直してみたら妊娠してると。調べたブルマも驚いていたが父親にもデータを確認させていたからほぼ間違いない筈だ」
「……………そうか。………信じられなかったと、云ったな。───何故だ?」
 吹き抜ける風に舞い上がった金髪が一瞬18号の表情を覆った。額に掛かった髪を掻き揚げるその仕種は何処までも穏やかで。

「─────────奇跡、だからさ」
 自分より遥かに背の高いピッコロを見上げ、視線を逸らさず人形は告げる。

(───アイツの事だからまたきっと、助けようとするに違いないからな………)

クリリンには少しの改造程度と云ったが、本当はそんな単純なものじゃない。“少しの”事で全ての人間がこのパワーを得られるのなら今頃Dr.ゲロはノーベル賞ものだ。お前とて長命種のナメック星人なのだから大体の想像が付く筈だ。違うか?」
「………………………」
「きっと私の外見はこのまま変わらない。稼動エネルギーが永久循環式だから、多分普通の人間よりも遥かに長く生きる事になるだろう。外的要因が派生しない限り死なないのかもしれない。エネルギーが永久循環するという事がどういう事か解るか?新陳代謝が殆ど瞬間的なものになり、新しいものは発生したその瞬間に消去される。システムは現状の維持をもってその存在を保つのだから、成長であれ老化であれ変化を受容する事は通常有り得ない」

 ──────それは永い永い時を渡るモノの逃れられない摂理。

「変化を否定したシステムでは新しい生命など育めない。妊娠など新陳代謝の際たるものだからだ。………それでも、私はこの子を授かった」
「自らの稼動維持をも脅かすかもしれないのに、システムはこの子の発育を赦した。私の意識もあるのかもしれないが、正直私には想像もつかなかった事だ」
「………………………そうか」
「お前達が居なかったなら、この星の災厄として人類を皆殺しにしていたのかもと思う。実際私達は全てを諦め、全てに絶望し、全てに飽いていたんだ。……………未だ、お前が私や17号に対して警戒を解いていない事も知ってる。お前だけじゃない。きっとこの星に住まう全ての人間が、私や17号、16号の存続を知ったなら疎んじて排除しようとするだろう。それだけの事を私達はしたんだ。今更赦されようなどと都合の良い事は思っちゃいない」
 ふと伏せた視線に寂し気な影がよぎる。等しく彼女の半身であった兄の身を案じたのか、あの日以来17号の行方は杳として知れないままで。
「それでも………それでも、私はこの子の倖せを望む。私達の罪はこの子には関係ないのだから、この子にだけは倖せな一生を過ごしてもらいたいんだ。………望んでくれた、クリリンの為にも」

 ───倖せなのだと、嬉しいのだと。
 クリリンは彼女に何度となく告げたのだろう。ともすれば疑心に捕われかねない彼女の為に。
 過去の行いを償う事も忘れる事も出来ない彼女の為に、言葉が、───想いが彼女の「力」となるように。
 ピッコロの数少ない知己である彼は───そういう優しい人間だった。

「………産まれてくる生命は、それが如何なものであろうとも、望まれて産まれてくるんだと教えてやりたい………誰に疎んじられても、それでも、望まれて存在するのだと」
「………………………望まれて産まれなかった俺に、お前の子を祝福する資格があるとは思えん。神からの祝福が欲しいと云うならデンデに云うがいい」
「…………望まれていない? ……いや、今のお前は望まれているさ、あの子に」
「………………………?」
「私達の脳にはお前達のデータが全てインストールされている。改造中や凍結中に強制的に流し込まれたものだがな。目覚めるまでの間のお前達の戦いのデータも全てだ」
「………………………」
「お前がサイヤ人から命懸けで守ったあの子は、お前の存在を心から望み、そして誰よりも強い意志でお前をこの世界へ呼び戻した。お前が死んだ時、あの子だけが涙を流したな」

 ───死なないでと泣き叫んだ幼子。生きる事を学び取った筈の愛弟子が見せた最後の泣き顔。
 出逢った頃は何時だって小さな子犬のように泣き喚いていたのに、何時からか子供は泣かなくなった。───泣く代わりに笑うようになった。
 ──────その子供が見せた、最後の泣き顔。───自分の為に、泣いた子供。

「………誰よりも望まれているのさ、誰でもないお前自身が、あの子に。………解って、いるんだろう?」
「………………………それは」
「誰かの代わりじゃない、誰でもないお前自身が望まれて、そして生まれ直したのさ。誰よりも純粋に、あの子はお前自身を望んで喚んだんだ。お前自身が願われているんだ」

 ──────ピッコロさん、大好き……………!

「たった一人だけでもいい、大切な存在が居て、そしてその存在に自らを望んでもらえたなら、最強の気分にならないか?」
 悪戯っぽく、18号の口角が上がる。

 ───ときどき遊びに来てもいいですか………?

 愛弟子が勉学に忙しいのは天上からも容易く見て取れる。幼い日々から運命に捕われて戦いに明け暮れた日々。──ようやく手にした平和な世界で、母親に云われずともまるで乾いたスポンジが水を吸い込むかのよう、これまで得られなかった様々な事を吸収し体験しているのを知っている。それでも、──約束した訳でもないのに、10日と開けず愛弟子はこの神殿を訪れていた。
 ───他愛無い近況報告と、何時もの問い掛け───また、来てもいいかと。
 素直で優しい心のまま繰り返される言葉に、是と頷く事しか出来ず。───否と云い渡す理由も見付からず。

「あの子と出逢って、あの子に望まれて、お前は生まれ直したんだ」
 
 ────ピッコロさんは、悪いひとじゃないよ………………。

 フラッシュバックのよう、聞こえる筈のない声が聞こえたような気がした。

「………………俺は」
「今の私は誰にも負ける気がしない。お前にもセルにも、───孫悟空にも」

「信じてくれる者が居て、望んでくれる者が居て、そしてこの子が居る。───勝てなくとも、負ける気はしないな」

 ──────お前だって、そうだったんじゃないのか?
 確信に満ちた声で唄うように紡がれる言葉。


「私は強い。この強さで守りたいものを守り抜いてみせる。───勿論この子にも倖せになってもらう予定だが………、……未来は定まっていないものだ。誰よりもお前達がそれを証明した」
「………………………」
「私はこの子を望んだ事を後悔する事は無い、それでも───私からの出生が他の人間に知られたなら、この子は何か辛い思いをするかもしれない。世界を壊そうとした災厄が産む娘だ、勿論デンデにも頼むつもりだが、神からの祝福だけじゃあ足りないな」
「………………………」
「───そう、思うだろう?」  


「祝福なぞ………やり方が解らん」
「簡単だ。………倖せを祈ってくれたらいい。それだけでいいんだ」


 下腹部に手を添えて真直ぐにピッコロを見据える18号は、もう既に母親の貌をしていて。
 ───守るべきものを持つものの貌だ───とピッコロは思う。
 鮮やかに浮かんでは巡る───ブルマやチチやトランクスが見せた決意。

 それは何時からか自分の愛弟子が見せる表情にもとてもよく似ていて。
 惑いない意志が、愛弟子の視線を彷佛とさせる。───何時だって勝てた試しが無い。


「──────では祈らせてもらおう、その子の幸福を。………穏やかな道程を」


 ありがとう………と嬉しそうに微笑む18号は今までの彼女とはまるで別人で、ひとは想い一つでここまで変えられる、変われるものかとピッコロには眩しくさえ見えた。
 自分と同じく永い時間を渡らねばならない筈なのに、いずれ愛する者に置き去りにされてしまうは確定の未来である筈なのに、その強さは「人間」そのもので。
 ふと気が付いてみれば、今この場に普通の「人間」は只の一人も居ないのにと可笑しくさえ感じる。
 そんな感情が無意識に表情に出ていたのか、ピッコロの僅かな変化を見咎めた18号が納得のいかない貌で問い掛けた。

「───どうかしたか?」
「いや、大した事ではない。──────倖せを祈ろう、心からな」
「………………………そう云えばお前の誕生日は何時だ?」
「───誕生日? ………………あまり意識した事はないが……もう、間もなくだったかと思う。毎年悟飯が何やかやと手土産を持って来るが」
「そうか……! お前も祝福されているんだな、あの子に」
「──だッ誰が誰に──ッ!」
 何も望まぬ質だと解っていても、贈らずにはいられないんだろうなと、18号はくすくすと笑って云い続ける。

「あの子からの祝福には到底及ばないと思うが───少し早いかも知れんが私からも云わせてもらおう、この子の御礼だ」
「………………………何を」

 誰に限らず、古今東西「女」がこういう貌をして云い放つ言葉には碌なものがないと、知識と経験がそっと本能を刺激する。


「誕生日おめでとう、ピッコロ」


「………………………」
「─────あの子と倖せにな? ──私もお前の倖せを祈ろう」
「─────────ッ!!」


 癇癪を起こしたピッコロの怒号が神殿の立ち木を震わせる。きっと18号はこの場に長逗留しないにしろ、この分では今日一日ずっとピッコロの機嫌は宜しくないに違いない。誰であろうと確実に予想出来るだろう数十分後の未来に、神たる者としての知識をピッコロから引き継いでいる最中のデンデは、二人の様子を少し離れて伺いながら気付かれぬようそっと一つ溜息を零す。
(………こんな時こそ悟飯さんが来てくれたらいいのに……………!)

 天上の大騒ぎも知らぬまま、当の悟飯はその時分ピッコロへのプレゼントを選ぶのに夢中で。
 流行りと教えてもらったショッピングモールを忙しなく覗き込みながら、一つ一つ品を眺め眇めては首を捻っていた。

「ピッコロさんには何が一番喜んでもらえるかな………?」

 贈って一番嬉しいプレゼントと、貰って一番嬉しいプレゼントが等しく同一である事に、天上も下界も未だ気付かぬままであった5月のある春の一日。


 世界はそれでも、───全てを等しく祝福しているのかもしれなかった。