廃園

一次二次創作を含む世迷言です。何でも許せる方のみどうぞ。あくまで個人的な発言につき、転載、引用はお断り致します。

うーん

相模原殺傷事件を切欠に、個人的に障害者に思う事をつらつら書いてたけど、今の時期まだ話題がホットで、うざ絡みしてくるタイプがわんさか検索してそうだから一回下げた。別に特別強く訴えたい訳でも自己主張したい訳でもないしね。言うてみればツイッタの長文個人ネタ版かな。少し収まってからひょっこり上げよう。

 

 

 

相模原殺傷事件

 

今日一日は表題の事件で朝からネットニュースが騒がしかった。

最初に見た時は15人だった死亡者が出勤前には更に増え、きっと数日はニュースサイトのトップを賑わすのだろう。

事件解明も容疑者の取り調べも現在最中な時期に、ニュースの見出しに踊る文字にさほどの信憑性もないだろうが、一部に「障害者は死んだ方が~」といった見出しを見て「さもありなん」と個人的に思った。

 

批判を承知で個人的な考えを述べるならば、

・一般常識レベルの公共ルールを守れない、そも意思の疎通が出来ない

・周囲に危害を与える

・生活及び財政面での保護監督者がいない

・自分自身の生活を、自らの労働賃金によって確保出来ない

・自分の言動を自制出来ない、反省出来ない、記憶出来ない

上記全てに当たる人は税金使って生きさせる必要がないよね、と思っている。

 

犯罪者は何故取り締まられ処罰されるのか。文字通りそれは犯罪を犯したからであろう。

犯罪とは極論「他人の財産と健康と人命に被害を及ぼす」事ではないかなと思う。それは上記に上げた障害者の状態と同じではないだろうか。

保護監督者がいるならばいい。障害者の生活にかかる全てを代替わりして、「私の為に生きて欲しい」と願う保護監督者がいるならば、その監督者の箱庭の中で生きていけばいい。それはそれでいいと思っている。愛情だけでも返せるものがあればそれでいいと思う。

 

だが、保護監督者がいない場合は?

税金で生活し、介護のスタッフに甚大な労苦を負わせ、そして障害者本人は何の反省もせず繰り返す。これが犯罪でなくて何だと言うのか。本人にまっとうな意思も意識もなく、他人の金銭を浪費し、何かを生み出す事も返す事もなく、その生存を望む者も存在せず、昨日の自分すら覚えていないまま周囲に迷惑をまき散らす人間に、生きる意味も価値もあるのだろうか。

過ぎた犯罪を犯した者は、現在の日本の司法においては死刑に処される。私個人としては、上記状態の障害者は死刑に処されるべき犯罪者だと思う。

重度の障害者を生きさせる為の税金を、軽度障害者の介護スタッフの報酬に回せれば、どれだけ介護スタッフが報われるだろうか。報酬が満足いく額であったなら、介護に関わる人員も増え、スタッフの労働状態も今よりずっと改善されるだろうと思う。

金銭は無限ではない。専門知識と体力を持ったスタッフもロボットではない。介護スタッフの生活と健康を害してまで「ただ、自分勝手に生きる、だけ」な事は犯罪ではないのだろうか。

障害者を介護してきた親が、もうこれ以上介護出来ない、と障害者を殺害する事件がある。情状酌量どころではない、私は介護者に罪はないと思っている。介護者の人生と愛情を拘束し搾取し圧迫し、殺人に手を染めるまで追い詰めたのは障害者の方だと思う。殺人は介護者の生きる権利を守るべき正当防衛ではないのか。

 

私の思うこれは選民思想とは違うと思っている。特別学んだ訳でもないので、一般に見聞きするナチズムもよく覚えていないし、それに賛同する気もない。血筋や外見に価値はない。必要なのは個人がどれだけのものを持っているかだけであって、それがどんなものでも構わない。誰かにとって価値があるものならばそれだけでいい。

だが、誰にも必要とされず認められず何かを返す事も出来ず自分自身すら解らない、そんな「ただ生きているだけ」の生命に価値も意味もないと思う。少なくとも私個人はそんな生命が他者の生命を脅かしてまで生き伸びる事に意味を感じない。

生命は平等だと言うのなら、障害者の生命と同じく介護スタッフの生命も尊ばれるべきだろう。介護スタッフの生命を脅かしてまで生きる意味がある生命なのかどうか、それは果たして生命が平等に扱われていると言えるのだろうか。

 

自分が上記のような状態になったら、自分自身も解らなくなったら、一刻も早く殺して欲しいと思う。私も両親の介護を経験しているからだ。あんな労苦は誰にも味あわせたくない。弾丸一発、注射一本でいい。何も出来ないなら、本当に何も出来なくなる事が、自分にたったひとつ出来る事だと思う。

 

相模原の事件はこれから詳細が調べられるだろう。罪のない被害者に~との声も上がるだろう。私とて事件の被害者が全員犯罪者だとは思っていないし、加害者が無実だとも思っていない。またその逆も。それはまだ誰にも言えないと思う。

ただ加害者にもそれを為す理由はあったろう。理由を構成する背景があったろう。酔ったはずみの事件などではないからだ。金銭目的の事件でもない。十数人に刃物を振るうには相当の覚悟が必要だ。勢いだけではできない。

いたずらに被害者を悼む報道だけが走らぬよう、加害者を責める報道だけが走らぬよう、その背景に少しでも目が向けられますようにと願うばかりである。

 

そして下手糞な日本語ながら、上記のような意見をもつ納税者もいるのだと、少しばかり呟いてみただけなのだ。