【朝の風景】
カーテンの隙間から差し込む朝日が、閉じた瞼越しに沈んだ意識をゆっくりとノックした。
浮かび上がる意識より早く、腕が肩口に掛かる重みを確認し、毛布を引き寄せ抱き締める。
─────────その『至福』
寝起きの悪い自分と違い、普段夜明けと共に起き出す彼の人は、
悟飯の休日、日曜日の朝だけはこうして無垢な寝顔を見せてくれる。
─────────その『喜び』
想いが通じ、…………肌を合わせて、
黒髪の優しい眸をした青年が、彼の大事な大事な「恋人」に触れぬ夜などないけれど。
「触りたい」「キスしたい」「抱き締めたい」
想いのままのお願いは、
「お前は明日の朝も早いんだろうが」
と、生真面目でしっかり者の「恋人」に困った貌で諭されれば、
彼の人を『師』と仰いだかつて、無理強い出来る筈もなく。
────そうして出来た、暗黙のルール。
──────休日前夜だけは、腕の中から逃げない「恋人」
伝う汗と、押し殺した嬌声。甘い吐息と、食い込む爪の痛み。
眸の眩むような、熱、熱、熱──────。
快楽にまるで耐性の無い身体を持つ「恋人」は、
休日の朝だけは、優しい腕に捕われた身体を預けて未だ眠りの縁をたゆたう。
横向きに青年の肩に頭を預けて眠る「恋人」の、気負いなく握られた指を開いて、
紫水晶を思わせる紫紺の爪先にくちづけても反応は無いまま。
そのまましなやかな指のあわいにまで舌を滑らせた時、翡翠の肌が小さくひくり、身じろぎを返した。
「──────眸が覚めた………?」
「……………………」
「お早うございます、ピッコロさん。良く眠っていましたね」
ゆっくりと瞼が上がり、深紅の瞳が徐々に焦点を合わせ、自分を真直ぐに見つめる───。
─────────その例えようもない『倖せ』
[newpage]
─────何時もの平日の朝。
ドア越しに漂って来る美味しそうな匂いが鼻孔をくすぐり、
そろそろ起きなきゃかな……? なんて思っていれば、
大概そんな頃に控えめなノックの音が耳朶を打つ。コンコン。
「ほらもう時間だぞ。さっさと起きて支度をせんか」
エプロン姿のままで部屋のカーテンを開けるピッコロさんの姿は何とも平和そのもので。
─────貌を見る度、声を聞く度、………その肌に触れる度。
今在る光景に感謝する。運命を紡いだ『誰か』に。
もうすっかり意識は覚醒しているけれど、ほんの少し甘えてみたくて。
横たわったまま、ちょっと持久戦。
「瞼が開きません、ピッコロさん」
「何を馬鹿な事云ってやがる。さっき開いてただろうが。ほら、起きろ」
「起こして下さい。でないと起きられません」
「朝っぱらからふざけてる場合か! 悟飯!」
戦いの最前線からは退いたとはいえ、やはり其処は鍛えた戦士である彼の人の事、
片手一本で半身を引っ張り起こされてしまう。
「ほらいい加減眸を覚ませ」
ベッドがほんの少しだけ傾いで、貴方の吐息を間近に感じる。
眸を閉じていたって、貴方の事なら何だって解る。
「悟飯?」
中々眸を開かない僕に、仕方の無い奴だとか思ってるんだろうなぁ。
「悟飯」
「お早うのキス、して下さい。でないと眸が覚めません」
「悟飯ッ?!!」
立ち退こうとした「恋人」の腕を掴んで抱き寄せる。
往生際悪く暴れてみた処で、パワーじゃ僕が優ってる事は貴方だって解ってるよね?
大人しくなったピッコロさんの首筋に貌を埋めれば、
ふわりと漂うバターと珈琲の匂い。
暫くしなやかな感触を堪能させてもらった後、
そろそろ解放してあげなきゃ本当に機嫌を損ねてしまうと抱き締める腕を緩めた途端、
唇にそっと、小さな感触が掠めた。
「ピッコロさん?!」
「─────眸が覚めたなこのクソガキッ!」
瞬間眸を開けたまま呆然としてしまった僕の頭を一つ殴った「恋人」は、
そのままするりと腕の中から抜け出して真直ぐドアへ向かってしまう。
「折角作ったのに冷めちまうだろうが! 後一分で支度しろよ!」
不機嫌そうな声で怒鳴っても、ねぇ、耳、下がってますよ?
[newpage]
もう風が冷たいからと、先日悟飯が取り替えたばかりの厚手の深緑の遮光カーテンの隙間から、細く細く光が差し込む。
秋の澄んだ空気の中、何も無い荒野の果てにも変わり無く太陽が昇る気配に、すぅ、とピッコロの意識は覚醒した。
───朝、か………。
目覚ましなど掛けなくても、通常ピッコロは夜明けと共に眸が覚める。
ナメック星人としての身体が余り睡眠を必要としないのか、よっぽどの事が無ければそれ以上身体が睡眠を要求する事はない。
もともと無為無意味な時間を過ごす事が苦手なピッコロの事、ベッドにそれ程未練がある訳でもなく、───だが。
頬に感じる体温にゆっくり瞼を上げれば、薄明るい視界を被うのは悟飯の寝巻きのライトグリーン。
………ああそうか、昨夜は悟飯のベッドで眠ったんだった………。
右腕を恋人の枕に差し出し、残る左腕で横抱きにその身体を抱き締めて。
未だ眠りの国の住人でいる青年は、すうすうと穏やかな寝息をたてて眠っている。
───眠っている貌は、昔とあまり変わらんな………。
ただ素直に、穏やかな性根のままに熟睡を享受する青年は、彼が幼き少年だった頃からピッコロが見てきた面影をそのままに残していた。
───涙を浮かべて自分に誰だと尋ねた幼子は、その優しさ強さを失わぬまま、目眩がするような鮮やかさで今自分を抱き締めて眠る青年に成長した。
昔から変わる事なく『大好き』と呪文のように唱え続けて、本当に何か不思議な力でも込められていたのか、
紆余曲折ありながらも、結局この優しい腕の中に堕ちてしまった。
────────逃げられる筈も、無かった。
昨夜とて、明方は冷え込むから──と、手を取り抱きすくめられれば、もう自分に逃げ道は無くて。
何を云ってる、それなら暖房でもと云い募る自分を、いつもと同じ、優しい笑顔で封じ込めて、
───僕が、寒くて、あなたに、暖めてほしいんですよ──。……大丈夫、心配しなくても何もしないから───。
どこまでも優しく、けれど揺るぎない強さで自分を抱き締め眸を閉じた悟飯に、いつもいつも溜息一つで負けを喫してしまうのは自分。
朝食と昼の弁当を作らなければ、今日のメインは何にしよう………と、
何とも微温湯じみた事を習慣として考えている自分に気付かないふりをしながら、自らを拘束する腕を手に取った。
ナメック星人の自分より遥かに高い体温を持つ躯から熱が染み渡るようで、まるで痛いような熱いような不思議な感覚が触れた指先からゆっくりと訪れる。
未だ眠り続ける悟飯を起こさないようにそぉっと身体を抜きながら、不本意ながらも感じてしまうのはどうしようもない名残惜しさ。
───いつの間に自分はこの腕から逃れる事を望まなくなったのか。
──たった一人、この腕から逃れる事にどうしてこうも胸が締め付けられるような気持ちにさせられるのか。
「────────悟飯?」
名前を呼んでみても、いつものような応えはない。
………無理もない。連日の残業や休日出勤で、此処最近の悟飯は端から見ても過労でともすればどうかなってしまいそうな位だったのだ。
柔らかな眠りの女神の膝の感触をどれだけ甘受している事か。
「………悟飯」
もう一度、何かを確かめるように小さく名前を呟いて、半身を起こしたまま、ピッコロは静かに眸を伏せた。
眠りに落ちる間際、抱き締められ喰まれた首筋がちりりと疼いて。
─────大丈夫、心配しなくても何もしないから──────。
────本当、は。
心配などしていない、と云ったらどんな貌をするだろうか。
悟飯がしたいと望む事に、厭な事など何一つ無いと、───『望まれる事』が、『望む事』なのだと。
──────そう、云ったなら。
悟飯が魔法を掛けるまで、この心には戦いと憎しみしかなかったから。
───勝つか、負けるか。生きるか、死ぬか。
─────生き延びる為に、唯ひたすらに強くなる事を目指した。
強くなる事、たった一つそれだけを見つめて。
───『寂しい』という事が、どんな事かも解らぬままに。
眠る青年を起こさぬようそっと、触れるだけのキスを落として。
静かに一筋、訳もなく涙が流れた。
[newpage]
「悟飯、朝だぞ? 起きられるか?」
ピッコロさんの声に意識が呼び起こされるのと同時、頭の芯にまるで間近で鐘を連打されるかのような重い痛みが走った。
「───ッ!! いったぁあ〜………ッ!」
ベッドに半身を起こしても、そのまま突っ伏して起きあがれない。
何より頭が上げられない。
えと………? 一体どうしたんだっけ………?
布団に臥したまま悶絶している僕の耳に、上から呆れ返った声が降りて来る。
「………………やっぱり二日酔いを起こしてるな。
だからあれ程酒はほどほどにしとけと云っただろうが。………全く」
………………思い出した。
昨日はブリーフ博士の結婚記念日でブルマさん宅に御呼ばれだったんだっけ………。
ヤムチャさん達とかクリリンさん達も皆呼ばれてて、
特別だからねってブルマさんが取り寄せたお酒がめちゃくちゃ美味しくて……………。
……………どうやって家に帰って来たんだろう?、僕。
きっと又ピッコロさんに迷惑掛けちゃったんだろうなぁ………。
「蔵出しだか大吟上だか、幾ら旨い酒だか知らんが、
普段ビールの一本で充分なお前が日本酒を一升近く呑んで無事で済む訳ないだろうが。
……ああほら、ゆっくり頭を上にあげろ」
………………そうですね。僕も今はそう思ってます。反省してます。
ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、後頭部をそっと支えてくれるピッコロさんの気は優しい。
額に当てられた手は僕らより少し体温が低くて、ひんやりと乾いた感触にほうと溜息が漏れる。
「少しでもいいから飲めるか?」
熱いぞと前置きされた後、手渡されたのはお味噌汁。
ジャガイモとか玉葱とか菜っ葉とか具沢山に入ってて、でもピッコロさんが朝に和食を作るだなんて珍しい。
「ピッコロさん?」
「二日酔いには水分をたくさん摂って血中アルコールを下げる事も大事だそうだが、味噌汁なんかも効果的だそうだ。
………どうせ朝飯なんか喰える気分じゃないんだろう?」
「………………詳しいですね。何時の間に?」
熱いお味噌汁を啜りながらちょろりと見上げた恋人は、何時もと同じで、醜態を晒した僕に只呆れてるだけと云った風情。
「………昨夜の内にブルマから聞いておいた。絶対こうなると思ったからな」
「ありがとうございま………嗚呼ッ! 大学!ちっ遅刻………ッて、いっ痛ーッ!!」
「大学にはもう連絡した! 今日は休みもらったから一日寝てろ」
「えぇええええええッ?!! ピッコロさんが? 大学に? 連絡?!」
「番号は解ってたからな。孫悟飯の家の者だと云ったら、何とか教授まで取次いでくれたぞ?今日は来なくても何とかするそうだ」
「………………………………」
「………何だ? 不味かったか?」
「いえ、………ありがとうございます」
僕が『ピッコロさん』にべた惚れで、写真一枚見せないその人と一緒に暮らしてる事は大学中に知れ渡っている事実だ。
………明日はきっと朝から質問責めだなきっと。
──────でも。
「ピッコロさん、大学に電話した時名前名乗ったんですか?」
「いや、俺の名なんか名乗った処で意味無いからな、だから『孫悟飯の家の者』だと………」
「それって、『家族です』って事ですよね?」
「ん? ──────ッ!」
ワンテンポ遅れて、ピッコロさんの貌が耳まで染まる。
「僕の『家族』として連絡してくれたんだよね?」
「煩いこの酔っぱらい!それ飲んでさっさと寝ちまえ!」
「ピッコロさんてばそんな照れなくても」
「煩い煩い煩──いッ!」
酔っぱらって二日酔い起こしてたのは確かに僕だけど、
気付いてます? ピッコロさん。貴方の方が、今、綺麗に貌真っ赤なんだけど。
[newpage]
「………よし! 行くぞ! 悟天!」
「トランクスく〜ん! ホントにやるの〜?」
「あったり前だろ! あの真面目な悟飯さんがきっと休みの日はだらしな〜く寝てんだぜきっと! ママからカメラも借りて来た事だし!」
「トランクスくんのママはいいって云ったんだ!」
「いいも何もエアカーで此処まで送ってくれたじゃんか。気で見つからないようにって!」
「そっかー! じゃあいいんだね! 大人がいいって云ったんだもんね!」
「早く行こうぜ。悟飯さん達が起きちまう」
「兄ちゃん達の寝起きどっきり〜v」
「………誰の寝起きどっきりだって?」
「──────ッ!!! 」×2
「……………ん?」
「に、ににに兄ちゃ………!」
「お、お早うございます悟飯さんこんな処で偶然ですね………」
「こんな早朝に人の家の勝手口で偶然じゃないだろ?トラ」
「だってトランクスくんのママが──ッ!」
「スト−ップ! 悟天、大声を出さないで。ピッコロさんが起きちゃうだろう?」
「え? ピッコロさんの方がまだ寝てんの………?」
「兄ちゃんの方が寝てると思ったのに………」
「こんな喧しくて眠っていられる訳ないだろうが」
「ひゃあピッコロさん! おはおはお早うございます………」
「ピッコロさんお早う〜!」
「すみませんピッコロさん。起こしてしまいましたか」
「別段構わん。………どうせ起きる処だったし。………さてトランクス。首謀者はお前だな?」
「小さい子供の無邪気な好奇心だよ?」
「ハロウィンとやらの時も偉い目に合わせてくれたよな………」
「そういえばそうでしたね………」
「トランクスくんだけが悪い訳じゃ……!」
「当たり前だ。二人とも明日学校が終ったら着替えて神殿まで来い。久し振りにみっちり修行を付けてやる」
「えぇええええええ───ッ!!!」
「良かったね二人とも」
「羨ましいなら替わったげるよ兄ちゃん!」
「そうだよ悟飯さん!」
「………………僕が修行を付けるよりピッコロさんの方が優しいと思うけど?」
「─────────ッ!」
「どうかしたか悟飯?」
「………何でもないですよ? な? 悟天? トランクス?」
「………………」
「………宜しくお願いします、ピッコロさん」
「何だ? 妙に素直だな。じゃあ今日はもう帰って良いぞ」
「はっはい! じゃあ帰るぞ! 悟天!」
「うん! そんじゃ兄ちゃんまたね───ッ!」
「本当にどうかしたのか? 悟飯。アイツら随分慌てていたようだが」
「………さぁ? 何か急用でも思い出したんじゃないですか? さ、ピッコロさん。少し早いですけど朝食にしましょうか?」
「………凄かったねトランクスくん………」
「ああ、全ッ然眸が笑ってなかったもんな悟飯さん」
「明日本当に行くの? こないだ買ったゲームまだ終ってないじゃん」
「馬ッ鹿悟天! 今は大人しくしといた方がいいって! でないとやっぱり悟飯さんなんて事になったらどうする!」
「そっそうだね! ………ああでもホント怖かった………!」
「あの笑顔が怖いんだよな………。よくピッコロさん一緒に暮らせるよな〜」