廃園

一次二次創作を含む世迷言です。何でも許せる方のみどうぞ。あくまで個人的な発言につき、転載、引用はお断り致します。

【TQ】誰がために鐘は鳴る

 

 

 

 ──ピッピッピ、と左腕のダイバーズウォッチがアラームを刻む。
 何か忘れ物を思い出したかのようにストップボタンを押しながら、実際記憶にないのだが、一時間前のアラームはいつの間に鳴っていたのだろうと、その特徴的な片二重をほんの少し寄せて、真田はじっと物云わぬ液晶画面を眺めた。
 表示時刻は〇五〇〇。何かと只では終わらない六隊にしては、驚異的に静かな朝と云えるだろう。

 

 『真田が当直の時は必ず出動がある』──と、海上保安官としてはある意味大変不謹慎なジンクスを持つ隊長を仰ぐ六隊隊員にとって、昼過ぎ早々に出動はあったが、七管との場所もありガルフを使用した到着の早かった甲斐があって、船舶は転覆しているものの、ひとりを除いて海面に投げ出された船員達は、身に着けたライフジャケットのお陰でぷかぷかと浮いたままさほど衰弱も見られなかった。
 船内に取り残された要救助者の捜索は、石井と安堂の二人が問題なく船外へと確保し、高嶺による診断にて大きな怪我や異常もない事から、他の船員達と一緒に支援船から廻された警救艇へと引き継がせ、いつもと云えばいつも通り、誰ひとり犠牲者を出す事なく無事レスキューは終了した。
 時間にして現場にいたのは三十分もなかっただろうか。往復の移動を含めても三時間程の出動は、体力自慢のトッキュー内でも群を抜く数値を誇る真田や、穏やかなそぶりを見せつつ、あれでいて数々の修羅場をくぐっている高嶺にとってはどうと云う程の事でもなかったが、言葉少ない真田の指示と行動に不慣れな若手には大層な出来事であったらしく、ウェットスーツの塩抜きや資器材のメンテナンスを済ませ、夕方のストレッチを終えてからは、「何かあったらすぐ起こすから」との副隊長の言葉にようよううなづいて、目の下にげっそりとクマを作ったまま仮眠室へと消えていった。
 今の内だけどね、とふらつく後ろ姿を見送って、こちらは些かの疲労も見て取れない自隊隊長へと向き直る。
「隊長もお休みになられますか? 天気図を見る限り、今夜は比較的静かに終えられそうですよ」
「高嶺は?」
「今週末までの書類が少々溜まっておりますので、一区切りつくところまで作業してから休ませていただこうと思っております」
「そうか、すまないな。では先に休ませてもらう事にしよう」
「四時間程しましたら交替をお願いします。神林君達はちょっと疲れてしまったようですし、今夜は眠らせてあげては如何ですか?」
トッキューとしてはまだまだだな」
 穏やかな高嶺の言葉にも、真田は生真面目に苦言を返す。
 いつ何時と云えどレスキューから離れられない融通の利かなさに、ロボとも噂される真田らしいと、高嶺が微かに笑った。
 このレスキュー一筋の頑固ロボに、対象が限られるとは云え、愛情や気配り、思いやりなどの人間らしい感情をインストールしたのだから、全くもってかつての副隊長殿はたいした人物だと思う。
「憧れの『神兵』との出動に気疲れしたんでしょう。その内慣れますよ」
「出動が掛かったら」
「それは大丈夫です。そのぐらいは弁えてる筈ですし。さ、仮眠室へ向かわれるならお早くどうぞ。私も仕事に戻ります」
「了解した。それでは頼む」
「お休みなさい」

 静まり返った事務所に、高嶺が叩くキーボードの音だけがさざ波のように響く。普段もこれほど静かならば、よっぽど事務処理も捗るだろうとは思うが、それはトッキューじゃないなと思い直して、相変わらず騒がしい隊員二人を思い出す。
 功績見事な「神兵」と云えど、飲み食いもするし失敗もする。出来ない事だってあるし、恋にも悩む。きっと彼等には想像も出来ないだろう。
 「憧れ」ている内は彼を越える事など出来ない──その事に、あの二人が気付くのはいつの事だろうか。
 先程確認した天気図からの見立て通り、小さな室内という内海に、不粋なコール音が鳴る事はなく。
 睡眠を摂る事も義務と心得ているのか、その眠りにタイマーでも付いているのか、予定通りに仕事の目処を付けた高嶺が仮眠室に向かうより早く、今の今まで寝ていたとは思えない明瞭さで真田がデスクに戻って来た。

「おはようございます」
「おはようございます真田隊長。今丁度起こしに行くところでした。もう仮眠はよろしいので?」
「ああ、しっかり休ませてもらった。俺もこれから報告書を書き上げてしまうつもりなので、高嶺もゆっくり休んでくれ。作業がてら俺がこのまま起きていよう」
「ありがとうございます。それではよろしくお願いします」
「了解した。お休み」
 当直は午前九時をもって次の隊と交替するが、いろいろと引継事項もあるので、遅くともその一時間前には皆基地に顔を揃えているのが常だ。交替前に先程の書類をもう一度チェックするにしても、真田と同じく数時間は睡眠を確保出来るだろう。
 飲み終えたマグカップを行き掛けの給湯室で洗いながら、部屋を出る際の会話にふと顔が綻ぶ。
 報告書の作成といっても本日出動のものだ、提出期限にはまだ数日の余裕がある筈で。特に難しいケースという訳でもなかったから、明日の非番を飛んで明後日の作成でも十分間に合う筈のそれを、どうして今夜の内に仕上げてしまおう等と思うのか。
 必ずという訳ではないが、疲労回復と体調管理の意味合いもあって、大概当直明けのローテーションは非番に充てられる。実際今夜当直に当たっている六隊も明日(もう今日か)の○九○○からは非番の予定だ。その後は防基での訓練となっているから、数日は緊張から解き放たれると云えるだろう。六隊と交替するのは三隊だから、今回については丁度非番の日が一日ずれて並ぶ事になる。
 ひよこ達への言動からは想像も及ばないだろうが、鬼軍曹の異名を誇る三隊隊長は、あれでいて仕事に対してはロボに負けず劣らず職業意識が高い。その実年齢を豪快に裏切っている若々しい容貌とは裏腹に、「近頃の若いもんは」とさらりと云ってしまう程、日本人らしい古風な考えを保持している彼にとって、非番くらいでなければ感情に任せた無理などそうそう許しはすまい。相手に仕事が残っているというなら尚更だ。
 今頃、我等が隊長殿は何を思ってキーボードを叩いているのやら。


「ワケ分からんように見えてな、結構ガキっぽいとこあるんやで」
 ──またぎゃあぎゃあ騒ぎよるから、あいつ等には内緒な。

 いつだったかの飲み会で、握った拳でぐいぐいと口許の泡を拭いながら、悪戯っぽく笑った彼の目はとても優しくて。
 くるくると動き回る栗色のくせ毛は、座敷奥から届いた通りのよい低い声に呼ばれて、まるで水に飛び込むような自然さで隣に滑り込んでいった。
 矢継ぎ早に話し掛けながら周囲の絡みを上手に流し、汚れた皿や空ジョッキを後方へ下げると同時に、空いた皿へ小綺麗に料理を取り分けてゆく。真田の好物ばかりをさりげなく確保収集しながらも、栄養バランスや彩りまで整える技はいっそ見事と云う他はない。
「なんやたいちょお、あんま進んでへんやないですか。腹具合でも悪いんでっか? 肝焼き好きじゃなかったでしたっけ」
「いや。今日は昼を食べる時間が取れなくて」
「ああそうですね。そんならそれなりに食べてから飲んだ方がいいでしょ」
「ああ、だが食事としてなら」
「…ちょっ! 隊長! ストップ!」
「シマがいるのに、一緒じゃないのがつまらなくて」


 何でああいう時は、どんなに騒がしく飲んでいても、不思議と静まり返るのだろう。
 静まる瞬間を選んででも言葉を発しているのだろうか。
 ──シマには毎度毎度ご愁傷様とは思うけど──と、さらりと人事に流して、洗い物に濡れた手を拭く。

 水切りラックに置いたマグの角度を少し直して、高嶺は大きく伸びをした。
 後でも間に合うものを、ばたばたと仕上げに掛かる真田の行動は、ご褒美が欲しくて母親の手伝いをする子どもと同じ原理だ。きっと真田の事を心配していろいろと尋ねるだろう想いびとに、胸張って「大丈夫」と云う為に、ひとり黙々とキーボードを打っている。

「…うまく思い通りにいけばいいんですけどね」

 いじらしい程に頑張っている真田には悪いが、数日前に偶然すれ違った嶋本は大層機嫌が悪かった。只でさえ鋭角を描いている眉がキリリと釣り上がっていて、頭の角は勿論の事、ひよこでなくとも後ろ向きで逃げ出したい雰囲気をどろどろと醸し出していたのは未だ記憶に新しい。
 短気なタチではあるが、仕事とプライベートはしっかり分ける性格なのは熟知している(そうでなければとてもトッキューなど務まらない)。その嶋本があれだけ職場で怒っているという事は、当然その理由は仕事に関する事の筈で、怒るだけ怒って発散したら後には残さないのが常である鬼軍曹が、ああまで内外に怒りを持続させる原因は、哀しいかなごくごく限られていた。
 自分に飛び火する事のない気安さで「どうしたの」と問えば、怒涛のごとく滔々と吐き出された内容に思い当たりがありすぎて、最後まで「そうだね」としか云えなかった。一体他にどうと云えばいいのか。
 六隊隊員としては自隊の隊長に味方するべきなのかもしれないが、嶋本が怒る内容が内容であったし、正直なところ自分も些か「あれはどうかな」と思っていた出来事だったので、そこはすんなりと「部下」から「友人」である自分に座布団を譲った高嶺であった。

「さて私も休ませてもらいましょうか」

 明日の当直は三隊への引継だ。あれ以来嶋本率いる三隊とは微妙にすれ違っていたから、明日の交替で久し振りに嶋本の顔を見る事になる。
 隊長たるもの遅刻等とは考えられず、逆に人一倍責任感の強い彼の事、厄介事は早々に片付けるべく、きっと朝早くからその怒りの原因を捕まえるだろう。最終的には仲介に入らねばならないだろうが(神兵と鬼軍曹の間に割って入るなど隊長クラスでもようようしない)、それまでの間、自主的に頑張る真田に電話番を任せて、ゆっくり眠らせてもらっても罰は当たるまい。
 火の元を確認した給湯室の明かりをぱちりと消して、さてどの辺りが空いているかなと呟きながら、高嶺はゆっくりと仮眠室へと歩き出した。

 

 ───夜明けのラッパは誰が吹き鳴らすのか。
 恋を取り持つキューピッドでない事だけは確かなようだった。

 

 

「…おはよおございますさなだたいちょお」