廃園

一次二次創作を含む世迷言です。何でも許せる方のみどうぞ。あくまで個人的な発言につき、転載、引用はお断り致します。

【きみのこえ】

【1】

 

「でっしょ──!? わざわざ呼んどいて『じゃあそれで』ってあんまりじゃないっすかあ!」
「でも、早く帰って来れたんなら良かったじゃないですか」
「そりゃそーですけど! でもそんなら明日の有給取らなくてもよかったよなーって」
「どこかに行く予定だったんですか?」
「そーゆー訳じゃないっすけど、どーせ本社に行くんなら、終わった後は遊んで帰ろうかなって。あっぐんそーのグラスあんま進んでないじゃないっすかー! なになにどしたんですう?」

 ──どうしたはこっちの台詞じゃこのチンカスが!

 狭い六畳間の小さなテーブルに、大の(という事にしてもらおう)男が三人膝付き合わせて昼間っから泡盛でカンパーイ! というのは国家公務員として如何なものだろうか。
 独身男の一人住まいなんて場所に揃いのグラスなどある訳もなく、それぞれグラスやらジョッキやら──当然四十度もあるアルコールを素でいけるのなんて高嶺しかいないが──を片手によもやま話が延々と続いている状況に、嶋本はぐるると喉の奥で唸った。

 こんなんに感謝した俺がアホやったわ……

 

 

 時間は数時間前に遡る。

 地元から送ってもらったお裾分けだと云って来訪した(多分、それだけではないのだろう)高嶺の視線に嘘を吐く事が苦しくてやりきれなくて、ピンポンピンポンと煩い呼び出しを幸いとドアを開けてみれば、そこに立っていたのは誰あろう、先だって尻のカラが取れたばかりの大口であった。
「お前……今日は終日本社やなかったか……?」
「それがね軍曹! ちょっと聞いて下さいよお!! あっ! 高嶺さんだ! 高嶺さーん!」
 招き入れるまでもなく押し入って来る教え子相手に、狭い三和土で問答しても無駄なのはとっくに承知の上だ。ここ近年のヒヨコの中ではまれに見る心臓の持ち主である彼は、相手が彼の「鬼軍曹」であろうと「菩薩?」であろうと、その本質を的確に嗅ぎ分けて体当たりして来る。
 姿こそ上下スーツのままであるが、アタッシュケースと共に下げられたコンビニ袋から覗く乾きものの束やアルミ缶の類いを見れば、大口の目論みなどはなからとうに知れたものだ。

 ……ま、ええけど。

 正直高嶺とこのまま二人で話すのは辛かったところだ。ナーバスと云ってしまうには少しばかり複雑過ぎる事情と、二日酔いの残る身体に連日のアルコールは少々厳しいものがあるが、さっさと高嶺の隣に自分の居場所をキープしている物怖じしない教え子は、巫山戯ているようでこれでいて頭のよい人間である事は間違いない。馴れ馴れしいキャラクターを演じつつも、ひとが内面に抱えるものやその傷にはあえて触れてこない大きさと労りは、将来の幹部候補としても重要なファクターのひとつだ。

 ──今は、大口に借りておくとしよう。

 さほど酒に強くない大口の持ち込んだものなど、先程覗いた内容から見てもジュースのようなチューハイやカクテル類ばかりだった。あの程度ならば、昨日に続いて飲んだところで明日に大した影響も残さない……と、思っていたのだが。


 蓋を開けてみれば、持ち込みを飲み干した大口がまだ仕舞われないままだった泡盛に目を付け、てっきり止めるだろうと思っていた高嶺までがにこにことキャップを開けていた有様で。
「大丈夫。危なくなったらちゃんと介抱してあげますから、折角ですし嶋もパーッと飲んだら如何ですか?」
「大口は明日有給やけど、俺らは出勤やんか」
「待機も準待機もいますから、防基の私達にまでは回ってこないと思いますよ。怪しい低気圧もなかったですしね」
「高嶺ぇ」
 お前そういうキャラとちゃうかったやん! という叫びは、相変わらずの微笑みの前に言葉にならず消えて。
 「うっわコレ美味し! ぐんそーこんな酒一人占めはないっす! ずるいっす!」と、またたびに懐く猫のように新緑の瓶に頬擦りする教え子の頭をひとつはたいて────。

 

 えんえんだらだら、現在に至る。

「でしょう? あの程度ならわざわざ呼びつけなくたっていいのに! 偉いひとの考える事なんて訳ワカンナイ!」
「それでも、大口君にはよい経験になったんじゃないですか?」
「経験っつかーあんまそんな気しないんすけどー」

 ぎゃあぎゃあとわめく文句を紐解いてみれば、本社ー本庁で行われた合同会議は警察と消防も合わせて終日掛かるスライドとディスカッションと聞いていたのだが、行ってみれば何の事やら、関係各所への挨拶周りでほぼ終わってしまったのだそう。会議と名のつく物すら一時間足らずで終わったとなれば、それは確かにわざわざ横浜から出向いた大口の愚痴もさもあらんと云ったところか。
「道理で長付きクラスじゃなくても構わん云うてた訳や」
 それでも、本庁からのお呼出に対してまだトッキュー一年目の大口に白羽の矢が立ったのは、保大卒の人員として、将来に向けての経験を少しでも早く積ませておこうという基地長の考えに他ならない。
 隊長クラスが、という事であればこの手の会議は大概黒岩か真田が出向いて片付けているので、本庁側としても新顔の扱いは大層遊ぶところが多かっただろう。

「会うひと会うひと皆『真田は?』って聞いてくるし! だったら最初っから真田たいちょお呼べばいーじゃんってハナシですよねぇ~」
「そう云いなや。お前だって色々覚えていかなあかんねんで」

 何でもない会話の、何でもない名前が胸に痛い。

「そーだ! 真田たいちょーっていえばあ」

 子どものように目を輝かせ、にやんと笑う。
 弱いくせに、どれだけ飲んだんだか。

「ここ来る途中でね、すっごい美人さんと歩いてるの目撃しちゃいましたっ! 彼女さんかなあ? バッグ持ってあげててね、お似合いでしたよお~」

 

「……そか」

 

 

【2】


 勝手に動いて勝手に話す、自分の身体が不思議に思えた。

 現場においては状況に応じて身体が自然に対応する部分もあるけれど、そうなるように訓練もしているけれど、今は陸で、自分の部屋で、高嶺と大口が部屋に居て、危険とはかけ離れた所にいる筈なのに、条件反射ってえらいもんやなとか、そんな適当な事を考えつく思考が不思議だった。

『すらっとした、髪の長い綺麗なひとでしたよ。ちらっと見ただけだったけど、美人だった~』

──ふぅん、そか。

『背も高くてね、真田隊長とあんまり変わらかったみたい。そりゃヒール履いてんだろけど、女のひとにしたらおっきいよね』

──モデルさんみたいでええやないか。たいちょかてええ身体しとるし、お似合いやろ。

『ワンピースみたいなの着ててね。大人しそうなひとだったなぁ~声とかは全然聞こえなかったけど』

──隊長は無意識からもう紳士やから、そら彼女に荷物なんぞ持たせんやろ……うん、大事にしてはんねんな。

『最初声掛けよっかなって思ったんすけど、なーんかそんな雰囲気じゃなくって』

──こら大口、お前なに馬に蹴られるような真似しとんじゃ!

『してないしてないって! だから俺だけ来たんじゃないですか!!』
『真田隊長の事ですから、道でも案内してたんじゃないですか?』
『え──?! そんな感じじゃなかったっすよお! 絶対知り合いっぽかった!』

──まぁええわ。オイ大口、お前それ絶対基地で云うたらあかんで。

『なんでっすか?! 大スクープなのに!!』
『──シマ』

──隊長の事やから、ちゃんと真面目なお付き合いやろ。そんなん笑いもんにするような真似したらあかん。

『えええ~』

──時期が来たら、ちゃんと俺らにかて云うてくれるやろから、それまで待ち。ええな!

『は~い……』

──そんな顔せんときぃや! ほれ!今日はコレ飲んでもうてええから、何やったら今から披露宴の出しモンでも考えときや!

『軍曹早ッ!』

──これでもバディやからな~! 俺が祝わずにどないせえっちゅーねん!!

 

 分かっていた、事だった。
 貴方の行くこれからの途が、どうか幸いに満ちたものでありますようにと、
 そう祈ったのは、嘘じゃなかった。

 

 

【3】


 辛い苦しい愛しい切ない。
 どれほどの気持ちを溜め込んだところで、昨日と同じに朝が来て、そして毎日が続いてゆく。
 それは、誰の上にも等しく。
 流れて伝わる、水のように。

 

「お早うございまーす!」
 ロッカールームのドアを開けざま見えた先には、予想通りの長身が立っていた。

「ああ、お早う嶋本。体調は変わりないか?」
「俺を誰やと思ってますの。あん位の酒なんてーて云いたいとこですが、その節はお世話かけました。すみませんでした!」
「いやいい。俺も酔い冷ましのついでだったからな。シマぐらいの体重なら……」
「それ以上は云うたらあきません」
「ははは。嶋本はちゃんとその特性を長所として利しているじゃないか」
「そんでも男のプライドっちゅーもんがあるんですよ」
「そんなものか?」
「そんなもんです。隊長にはそんな見栄無縁でしょーが」

 隣合わせたロッカーでたわいない軽口を交わしつつ、下ろしたボディバッグから隊服を引っぱり出して着替えていく。
 洗い立ての隊服のほんの少し肌に馴染まない感触が、休日から勤務への意識を自然に切り替えてゆくのが、こうして休み明けの朝を迎える度に何だか感慨深い。

──オレンジを着るようになってから結構経つからな……いや、慣れてからこそか

 身に付いた習慣が、有り難い。
 話しながらも手は休まずに動いてゆく──積み重ねた、日常。
 ファスナーを上げベルトを締めて、同じく洗ってアイロンを当ててきたベレーをロッカーの内棚に引っ掛けた。
 真田はとうに着替え終わっていたが、待っているつもりなのか何やらロッカーの中をごそごそ漁っている。着替えのストックでも整理しているのだろうか。
 後はブーツを履けば完了だ、と、跪いて靴紐を編み込んでる最中視界によぎった白い残像は。

 思わず手が止まる。
 地柄の入った白いハンカチ。如何にも柔らかくそして滑らかだろう生地と、ふち飾りのパイピングを見なくとも──それが女性用、総じて「此処」には在る筈のないものである事が見てとれる。

「……隊長」
「ん?」

 手元の靴紐はまだ半ばまで──立ち上がる必要は、ない。

「なんぞ落としましたよ? 隊長のっすか?」

 拾った手だけを差し上げても──何ひとつ不自然じゃあ、ない。

「……ああ、知り合いの忘れものだ。返すつもりで持ってきていた。ありがとう」
「いえいえ。こんな男所帯でそんなん見られたら皆に何云われるか分かりませんよ。ちゃーんと仕舞っとかな、ね」
「そんなものか?」

 職業柄、いつ何時の「もしも」の為に、身支度をしっかり整えて備える事はとてもとても重要だ。
 足元を守るブーツなんて特にそう。きちんと紐は結うものだ。

「そんなもんです。……俺もちょっとかかるんで隊長先に行っといて下さい。何や揃わへんからもっかいやってから行きますわ」

 重ささえ感じるような視線は、何なのだろう。

「……分かった。じゃあ先に行ってるぞ」
「はーい。すぐ行きますよって」

 


 ──染みていく時間も、いつか蒸発して消えていくのだろうか。

 

 

【4】

  

 ──ピースの足りないパズルに延々と取り組んでいるようだ。

 

 もやもやして苛々して不愉快な気持ちがずっと治まらなくて気持ち悪い。
 理由は分かっている。けれどきっとあれだけじゃない。もっと、根本的な何か。

 走れば少しは気分もすっきりするだろうかとエプロンを十周ばかり流してみたが、反って自分ひとりの思考がぐるぐると渦巻いてしまって逆効果だった。これならまだ待機室で報告書でも片付けていた方が有意義だった。

「さなだくん」

 いくら空気の冷たくなる時節と云えど、初秋の晴天の中、十数キロもハイピッチで走ればそれなりに汗もかく。部屋に戻る前に一度着替えようと汗を拭く背中に、場違いなくらいのんびりな声が掛かって。
 振り返れば、窓から覗く丸いシルエット。肩から見えるあの尻尾は──またか。

「お疲れ様です。基地長」
「うん、お疲れ様。駄目だよ? 嶋本君が居ないからって飛ばし過ぎちゃ」

 防基での障害物回避訓練を終えた後、嶋本は佐藤専門官に呼ばれて別行動を取っていた。来週週末に公開訓練があるので、会場側との打ち合わせだと云う。もちろん個人でという訳ではなく、特殊救難隊三隊としての職務だというのに、隊長の真田ではなく副隊長の嶋本に打ち合わせの担当を振る辺り、流石は専門官、現場とはまた別のコミュニケーション能力を正確に見越した上での適切な判断だと云えよう。
 現場から離れたとは云え、海保に属する人間はそれなりに乗船経験があり、海の厳しさも理不尽さもよくよく知っている。全体と合わせて些細な部分まで見てとる観察眼と、臨機応変に対応可能な瞬時の判断能力は、この陸においてもその能力は十二分に有効だ。

「……この程度は特に問題ありません」
「そうだね、でも今はキミを止めるひとが居ないんだから、自分で止まらなきゃ」
「……はい」

 糸目の笑顔で語る言葉も、それは笑顔ほど笑った風ではなく。
 『嶋本がいない』──わざと意識から追い出していたそんな事が、ちり、と小さく真田の胸を灼いた。
 無意識に眉を潜めた「レスキューロボ」をにっこりと見遣って、今度こそ楽しそうに奥村が口を開く。

「そうだ。嶋本君の事でキミに相談があるんだ」
「嶋本の事ですか?」


 ──チチチ、と雀の声がする。

 嫌な気持ちがまたぐわりと膨らんで、誤摩化すように鳴き声を辿れば、勝手口から佐々木と大口が揃って雀にパン屑を投げていた。
 思ったより近くでついばむ姿に、そう云えば嶋本も時々エサを上げていたと、だから慣れているのかと、そんな事をぼんやりと思う。
 自分も一緒に投げた事があったな──そんな事を、思い出す。

「うん。まぁここで立ち話もなんだから、部屋までちょっといいかな。急ぐ話じゃないから、着替えてからでいいよ」
「はい、了解しました」


 立ち去る奥村を窓越しに見送って、そっと胸に手をあてる。
 落ち着かない気持ち。少しだけ治まった苛立ち。絡み付く不快感。

 ──穴だらけのパズルだ。

 微かに聞こえる雀の声。よぎる記憶──「          」

 嵌めても嵌めても、手持ちのピースを全て嵌めてみてもきっと。
 あの時嶋本は何と云っていたんだったか。

 

 足りないピースは?
 それを持っているのはきっと自分ではなくて──。


 ふと思い出す、今朝のやり取り。白いハンカチ。
 奥村の話の内容に見当もつかないが、今夜の予定を考えれば、出来れば長引かないものであればありがたいと、真田は小さく息を吐いた。

 

 

【5】

 

「遅いわよ。そっちから呼び出しておいて」
「すまない、仕事が長引いてしまったんだ。──マスター、タンカレーをロックで」
「で? 返すものがあるとか云ってたけど何なの? 覚えがないんだけど」

「ああ、──これだ。洗面台に置きっぱなしだったから返しておこうと思って」

「……呆れた。ハンカチの一枚くらい部屋に置かせてくれたっていいでしょ。わざわざ洗ってアイロンまで掛けてるってのが甚らしいけど」
「そういう訳にもいかない。それに、すぐ返さないと面倒な事になるそうなんだ」
「へぇ? 微妙な云い回しね」

「とにかく、これは返しておく。……ところで」
「──するわよ、勿論」
「……そうか」
「甚のせいでもあるんだから、きっちり責任取ってもらうわ」
「俺の所為だけという訳でもないだろう」

「甚のせいでしょ。でなきゃ結婚なんて」
「……うん」

「……何よ。とっくに決めた事でしょ? それとも後悔してるの?」
「そういう訳でもないんだが……そうか、結婚か」
「?」
「いや、もうそんな事を云われる歳なんだと思って」
「女の前で年齢を話題に出すもんじゃないわ。相変わらずなんだから」

「ケイコさんは変わらないな」
「当たり前でしょ。私は私よ」

 

 

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