廃園

一次二次創作を含む世迷言です。何でも許せる方のみどうぞ。あくまで個人的な発言につき、転載、引用はお断り致します。

【Giurare】

 

 


「簡単だろ! 野望捨てるくらい!」

 血を失い過ぎたのだろうか。全ての音が呆と、何かぶ厚い壁を通したかのようにはっきりしない。自分と大差ないように見えた金髪男の上げた掠れた叫び声が、何故か幼子が泣き叫んでいるかのように聞こえた気がして、こんな場面だというのにゾロは少し可笑しくなった。

 あれは確かにあの金髪の声だ

 

 女共の前にへらへらと見せたヤニ下がった態度と、自分たちに対するぞんざいな態度(それでも食後の一服にと煎れられた茶は大層旨かった)、そして下っ端といえど一応はお飾り付きの海軍野郎と、自分もその強さは認める我らが船長を、くわえた煙草もそのままに瞬く間に蹴り倒してみせた強さが共存する変わった男。小綺麗なスーツに身を固めたその姿は、気障で生意気な言動と相まって初見から「いけ好かないヤツ」との印象が強かったが、それでも何処か滲み出る柔らかいものに、知らず自分が警戒を解いていたのも事実で。

 何かを感じていたのかもしれない。

 何だありゃと目を見張った稲穂の眩しさに。
 ねめ上げるように視線を合わせられた蒼海色に。

 「粗茶だ」と湯呑みを差し出した白い手には、いくつもの古傷が消えかけていて、男が見た目ほど小綺麗な生き方などしていない事を窺わせた。
 そんな荒れた手──逞しくはないが骨ばった紛れもない「男の手」を、「綺麗な手だな」と思ってしまったのはきっと気の迷いに違いない。

 コイツは強い──何の猜疑もなく、そう、思った。
 その強さをふざけた態度で真晒に覆い隠せるほどに。
 おそらく只人ではまともに相手にもならぬくらいに。
 もしかしたら、
 自分と多少はやりあえるくらいに。

 その男が、自分に何か叫んでいる。泣いている? まさか。
 心配? ついこないだ逢ったばかりの自分たちにそんな義理も無い。
 怒っているのだろうか。けれど何に?
 自分は確かに井の中の蛙で、文字通りの醜態を晒してはいるけれど、それがアイツに何の関わりがあるだろう。
 それとも冷やかしているのかも? だがアイツは確かに以前自分をバカと罵ったけれど、それはゾロに対してというよりは、そこに居ない別の誰かに向けて云っていたようで、侮蔑よりも悔恨が、からかいよりも心配が透けて見えたかに感じられ、「バカ」という言葉以上の何かにムカついたのを思い出す。

 それが何だったのか、幼い頃から物事を深く考える事が苦手だったゾロは、はっきりしないもんを考えたって仕方ねェ、分からんままでも不都合はねェし、と早々にそのもやもやを脳内の片隅に追いやった。
 普段はすぐに消え去って思い出しもしない筈のそれが、後々何時何時までも自分を疼かせる事になろうとは夢にも思わずに。

『コイツは腹のウチっかわを素直に表に出すようなタマじゃねェ』

 あの時感じた直感を、ゾロは絶対の自信を持って信じている。だからこそ、今ヤツが何を叫んでいようとも、それはコトバまんまじゃ絶対ぇねェと、例え聞こえずともゾロはもう知っている。

 その理由を、根拠を、どうにもはっきり分からないけれど、それでもヤツの言動を、「素直じゃねェヤツだな」と、理性よりも早く感情でそう思うくらいに。

 

 ふとした弾みで海に出た、まだ若かった自分をナメて掛かり、あまつさえカモにしようとした荒くれ共を、挑まれるまま死合い上等と返り討ちにしている内に、何時の間にやら「海賊狩り」なんぞと云う有り難くもない字も付いた。自分に殺意を持って刃を向ける以上は女子供も変わらずに、周囲が静かに赤く染まるまでその剣を振るってきたから、その躊躇無い姿に何を見たものか、あからさまな侮蔑と恐怖を持って、自分を「魔獣」と呼ぶ連中がいる事も知っている。
 確かに戦いの最中に続き、血に塗れたその刃を納めるまでは、自分が何処か常とは違う世界にいる事に自覚はあるので、世間からどう呼ばれようともそれを否定する気は一切無い。

 自分は所詮「人斬り」だ──どうしようもなく
 「人でなし」の「魔獣」なんだろう──それで十分だ

 

(だからってあれがガキの声に聞こえちまうたぁ、オレもとうとうヤキが廻ったかね)

 死ぬ気もないくせに、と思考の裏側で黒髪の少女が笑う。

(ああ死ぬ気なんざねェよ)

 全身を伝う血に握った掌がぬめる。それでも立ち上がるのは、前を睨み望む理由は。
 自分を見据える鷹の目のような鋭い眼差し。ここまでの全てをあんな小さなナイフ一本であしらわれ、なおかつ掠り傷の一筋も付けられねェときた。
 いくらバカなゾロでもここまでその実力の差を見せつけられては、どれだけ認めたくないと意地を張ろうと厭が応にも思い知ら示させられる。

 世界の遠さ──自分の弱さ。

 望まないまでも付いた二つ名に、戒めようと思いながらも知らず知らず育っていた自惚れと驕りに、今この場にもう一人の自分がいたなら、自分自身をこそ微塵切りに斬り捨てたい。

 それでも、
 世界最強──「大剣豪」と呼ばれるその座を、自分は決して諦めたりなどしないから。

 自分に勝ちっぱなしのまま消えてしまった幼馴染みとの約束の為に。
 「男の子はいいね」と涙した、誰にも勝ちを譲らなかった少女の強さを証明する為に。

 約束は守る。自分の守りたいものを守って。
 そう、
 今の自分ではこの目の前の男には勝てない──まだ。
 まだ、だ。
 おそらく次のもう一太刀が自分の鼓動を止めるだろうとしても。

 それでも、
(逃げる気もねェけどな)

 惜しむものは生命ではない。
『剣士として最強を目指すと決めた時から、生命なんてとうに捨ててる』
 あの言葉は見栄でも何でもない。思った事をただ云っただけで、そもそも本能だけで生きているようなゾロには、見栄を張らせるような虚飾も、嘘を吐くようなしみったれた知恵も無い。
 そんな自分の耳に聞こえた声がどうしようもなく痛くて、痛いと思うことが不思議にたまらなかった。

(だからンな泣くな)
(てめェが心配するような事も怒るような事も悲しむような事も、なぁんもねェから)

 ふらつく足を叱咤して、よろけながらも目指すものは「大剣豪」
 諦めない──だからこそ逃げない。

(オレは──オレだ)

「背中の傷は剣士の恥だ」
「見事」

 守りたいものは剣士としての矜持。
 親友との約束。
 ゾロがゾロとして在る為の誇り。

 ダメだったじゃんと空の上で膨れっ面をされるかもしれないが、ゾロが剣士として貫いた結果なら、きっと親友は笑って許してくれるだろう。
 悪ィなぁとは思うが、彼女に対しての後ろめたさは心の何処にも感じない。

 それよりも、わがままに癇癪を起こしているかのような泣き声の方がひどく気懸かりで。
 実際の声ではないのだろう、それでも、狭間に立つゾロにはやけに明瞭にその声は響いた。
 叶うならば、顔をぐしゃぐしゃにしているだろう金髪頭を撫ぜてやりたい。大丈夫だからとひとつふたつその丸い稲穂色を叩いてやれば、見たことのない顔で笑ってくれるだろうか。

(だからアイツはガキじゃねェっての)
(でも泣くな)
(よく分かんねェが、てめェはアホみてェに笑ってる方がいい)

 彼方をちらりと見遣れば、唇を噛みしめてぎりぎりと睨んでる様が大層不細工だった。
 もったいねェなぁと残念になる。


 そんな走馬燈のような思考の一瞬後、胸に疾るは灼熱の一閃。苦痛よりも真っ先に感じるのは圧倒的な熱さ。吹き出した血飛沫に深紅に染まった視界が、一呼吸置いて急激に闇に呑まれてゆく。
 叫ばれる自らの名をどこか子守歌のように聞きながら、重力のまま崩れ落ちた海面は、まるで干したての布団のようにゾロを優しく包み、緩やかな眠りへと誘おうとした。
 なんて甘ったるい誘惑。これが昼日中の甲板であったなら、ものの三秒でこの身を預けるというのに。


 死ぬ訳にゃいかねェんだよと自身に活を入れる前に、その眠りの女神の柔らかな膝から自分を叩き起こしたのは、船の誰より臆病で男気に満ちた、気弱な狙撃手の叫び声とその他諸々。

 

 生かされた──と気付いた。


 ならば約束しよう──「最強」への再戦を。
 剣を交える者には以後誰にも負けぬ誓いを。
 自分が目指すは「大剣豪」鷹の目のミホークただ一人。奴より弱い剣士に負けるような様で、どの面下げて「最強」に挑めと云うのだ。


 ──そして、
 叶うなら、もう泣かせないことを。

 ヤツの為ではない、自分があんな声をもう聞きたくないのだ。
 聞きたくない理由なんて知らないし、考えるのも面倒臭いが、厭なものは厭なのだ──ただ、それだけ。
 そしてゾロは、一般常識において大層無頓着であったけれども、自分の決めたことには努力を惜しまない質だった。

 

 小船は進む。
 訳の分からない理由で遠ざかったGM号と、橙色の航海士を追って。
 船長は船長なりに、付けたい落とし前があるらしい。そして目を付けたらしい一目で気に入った宝物も。

(──また、後でな)

 ヤツにも何やら込み入った事情がありそうだが、そんなものルフィには関係無い。
 欲しいものは欲しいと叫ぶ迷いの無い直感には、きっと運命すらその頭を垂れるに違いないだろうから。
 ルフィが望んだ以上、ヤツは何があっても船に乗る。それはゾロにとっては自らの経験を持ってしての確信だ。

(今度は、笑え)

 またすぐに逢うだろうその時も、きっと自分たちの周りは騒がしいだろう。よほど騒動を引き寄せるのか引き寄せられるのか、付き合ってそう長くもない間にすら何度イザコザに巻き込まれた事か。既に航海士の反乱に船の強奪、海賊の襲撃にクルーの争奪と枚挙に暇が無い。
 それでも必ず、自分は生きて目の前に立ってみせるから。

(笑え)

 後は任せたと船長を見遣れば、既に彼はやる気満々だ。ああなったルフィを止められる者などこの海の何処にも居はしない。

(先に行くから──連れて来い)

 四人を乗せた小舟がその舳先を休ませるまでのあと少し。船長の行動に心配など考えるだに無駄だ。再会の確信に心なしか笑みを浮かべて、ゾロは静かに眠りへと意識を向けた。

 ──すれ違いに見えたは、黄金か、蒼か。