【I'm Glad There Is You】
─────ねぇ、ピッコロさん。『神様』って信じますか?
夕食後の一時。芯までほっこりと煮込まれた温かいポトフをお腹一杯に詰め込んで、何とも倖せな気持ちでコーヒーを啜りながら、僕はふと、前から聞きたかった事を思い出していた。
ピッコロさんは未だ洗い物の最中で、一人分ちょっとだからそんなに量は無いんだけど、いつも僕が洗い物を片付けようとすると、黙ってスポンジを取り上げ背を向けてしまう。
───お前は仕事で疲れているだろうからって云って。
…………そんなの平気なのに。それまでどんなに仕事で疲れていたとしても、いつもあなたが「お帰り」って云って微笑って出迎えてくれるから、本当に僕は平気なのに。一緒に暮らしてもう2年になるのにも関わらず、ピッコロさんはそういうトコロ、絶対に僕に譲ろうとしない。僕が食べた分の後始末なんだから僕がやるのが当然なのに、真面目なひとなんだよなぁといつも思う。
───真面目で、優しくて、良く気が付いて、意外と家庭的で。
その昔ピッコロさんが『大魔王』を名乗っていたなんて何だか信じられない。僕にとってはたった一人の恋人なのに。誰より何より大事にしたい大切なひとなのに。
………………『神様』って本当にいると思う?
きっとあなたは真面目な貌で、「デンデが居るだろうが」って云うんだろうな。
あなたにとっての『神様』って、あなたのお父さんの分身だったり、本来心優しい種族であるあなたの同胞だったり、実際に眸に見え触れられる実在の存在だと思うから。
何かを望んだり願ったりする時に、心の中の誰かに祈るだなんて、あなたの過去を鑑みればとても考えられない事であったに違いない。誰かを憎み殺す事を望まれて生まれてきただなんて、幾ら過去の記憶も受け継いでいるとはいえ、まだ幼かった時分一体どんな気持ちがしただろう。一番辛く苦しい時、云わばあなたの敵は『神様』そのものだった筈なのだから。
………………ねぇ『神様』………僕の声はあなたに届いていますか?
僕は4歳のあの日、あなたに出逢うその瞬間まで、両親にとても愛されて育った。
お父さんもまだ僕に武術を教えようなんて思ってなくて、お母さんは武術よりも勉強だって云ってたくさんの本を買ってくれた。………倖せを望まれていると何の疑いも無く信じていた。倖せな今日が明日も続くと盲目に信じていた。
───修行で戦術を身に付け、共にこの地球を守れ!
あなたは、突然僕の眸の前に現われた。
──初めて、僕自身の眸を真直ぐ見て、僕自身に何かを求めるひとに出逢った。それは、───とても鮮烈な記憶。
………僕はね、『神様』ってちゃんといると思う。
温かいコーヒーには少しだけ牛乳が入ってる。大学で飲む時は面倒だからと何時もブラックなんだけど、そればっかりじゃ胃に悪いからって云って。砂糖は入ってないから甘味は無い。けれど、どこかまろやかに感じる苦味に僕はゆっくりと息を吐く。
上目遣いに見遣れば、ピッコロさんは未だ背を向け洗い物を片付けていて。
………昔とは違う、どこまでも穏やかな落ち着いた気配。
この星にたった二人だけの、優しい優しい魔法遣い。
遠くナメック星に生まれ出ずる筈だった、いや、もしかしたら存在していなかったかもしれなかったあなた。
あなたの先代が世界征服などという野望を持たなければ、僕の父に倒される事など無かっただろうし、その父だって、この星にやって来たのはほんの偶然。山程あった分岐点の中、たった一つの選択肢の結果。そうして父がこの星にやって来なければ、存在すらしなかった僕。母以外の女性から生まれたとしても、サイヤ人として数多の星を、人々をこの手に掛けていたであろう僕。
別々の星に生まれ、出逢う事など無かったろう僕達を引き寄せた───『誰か』
ほんの小さな選択から、何処までも分岐してゆく世界。
限り無く存在する可能性の中から、───僕達は出逢った。この小さな蒼い惑星の片隅で。
──────それはとても素敵な偶然。
───たった一つの可能性の結果。
「───どうした? さっきからニヤニヤ締まりの無い貌しやがって」
「そうですか? そんなにだらしない貌してました? ……ピッコロさんの事考えてたんですけどね」
「───ッ?!」
小さな溜息一つ付いて、ピッコロさんが僕の髪をくしゃりと掻き混ぜる。気安くどうかしたのかと聞けない、───それは、優しくて不器用なこのひとの癖。
翡翠色の肌。長くて尖った耳朶。ゆっくりと永い時を渡るその生命。
髪に絡む手を取れば、その指は4本。深い紫水晶を思わせる尖った爪先。
「─────ねぇ、ピッコロさん。『神様』って信じますか? ──本当にいると思います?」
「………? ……デンデが神殿に居るだろうが」
真面目な貌で僕を見るその眸は深紅。深い深いガーネットレッド。
「………僕はね、『神様』って本当にいると思うんです。………界王神様やあなたの先代、デンデとかじゃなくって、………一人一人が、心に祈る『神様』───運命を司る『誰か』」
「─────悟飯?」
「毎日毎日感謝してるんです。───僕の中の『神様』に」
そっと引き寄せた動きにも逆らわず、素直に手を預けたままにしている優しい異星人。
──────此処まで僕を導いた、翡翠色のその手。───その手は、此れ程小さかっただろうか。何時だって追い掛けた、何度だって触れて欲しかった、やさしい、やさしい、て。
「───あなたに逢わせてくれて、ありがとうって」
眸を閉じ口付けたその指先は、先程までの名残かしっとりと水分を含んで、優しく僕の唇に馴染んだ。