廃園

一次二次創作を含む世迷言です。何でも許せる方のみどうぞ。あくまで個人的な発言につき、転載、引用はお断り致します。

【Sweetest drop】

 

 

 

 

 ───温めたカップの熱が指に心地良い。
 煎れたばかりの珈琲をゆっくりとマグに注ぎながら、ピッコロはふと去年の事を思い出した。


++ Sweetest drop ++


 丁度一年前の今日、色鮮やかな小包を一杯に詰めた紙袋を両手に下げて帰宅した悟飯は、ピッコロがそれは何かと尋ねるより早く、両手を振って叫んだのだ。

 『誤解です! 喜んでもいないし食べてもいません!』
 『─────? 食べ物なのか? だったら玄関先に放り投げるな』
 『え? あ………そうか、ピッコロさんは知らないんですね。でも本当に食べてませんから!』
 『だから何をだ』

 放り投げられた紙袋から溢れた可愛らしい小包の直中に立ちながら、困ったように焦ったように何度も「食べてません」と繰り返す悟飯の振舞いが妙にちぐはぐで、まるで子供の頃と同じ顔をしていた事を思い出す。
 結局後からその日───2月14日の意味を教えられても、未だにあの時悟飯が一生懸命「食べてない」と言い張った理由はよく理解出来ない。幼い頃に甘いものに接する機会が殆ど無かった所為か、確かチョコレートは大人になった今でも悟飯の好物の一つの筈で、好かれて貰ったものだろうし好物なら喰えばいいと云った自分に抱きつきながら、僕があげたいのだと、悟飯は穏やかに笑って云った。

 『………2月14日はね、ヴァレンタイン・ディと呼ばれていて、大好きなひとに自分の気持ちを伝える日なんです。プレゼントなんて無くてもいいのに、何時の間にやらチョコレートをあげるのが風習になっちゃったみたいですね。別にそれも嫌いじゃないですけど』
 
 ………今の季節は、街中が甘い匂いがするから………と、
 街は未だ冬の名残を引き摺っている筈だのに、足早に歩く人々は誰も彼もがそわそわして、ドキドキしてて、見ているこっちまで倖せな気持ちになって来るんですよ、と、照れたような笑みを浮かべつつも、何か一つ痛みを隠しているような、そんな貌で、一年前の今日、悟飯は自分を抱き締めたのだ。


 ─────2月14日。聖ヴァレンタイン・ディ。
 
 今年もやっぱり悟飯は両手に紙袋を下げて帰宅して、今度は意味を知っているピッコロが「沢山貰って良かったな」と云えば、「彼女達にはちゃんと断って来ました。これはお父さんや悟天にあげます」とにっこり笑った。
 
 何時も通りの穏やかな日常、優しい優しい恋人たちの時間。

 今日がヴァレンタインだとは、出勤する時には悟飯は云わなかった。ピッコロも何も訊かなかった。
 何時も通りにお弁当を持たせて、帰宅予定と夕食のリクエストを聞いて、今年の冬は特に寒さが厳しいと云われている所為か、ピッコロにはそれ程変わりは無くとも、悟飯のリクエストは此処の処焼き物やオーブン料理が頓に多くて。
 『腹を減らして帰って来る癖に、どうして帰ってから焼かなきゃいかん物ばかり喰いたがるんだお前は』
 と、ぶつぶつ小言を云いながらも、今夜のテーブルに並べられた夕食はチーズたっぷりのミートグラタン。
 『やったーv いっただっきまーすv』
 『熱いからな、気を付けて喰…』
 『だいじょ……ッ! あッアツッ……!』
 『だから云ったろうが』
 予想済みだったのだろうすぐ差し出されたグラスを受取りながら、グラタンを頬張った廻らない口で「えもおいひぃでふ」と告げる悟飯は何処までも倖せそうだった。それはそうだろう、誰より大好きなひとが自分だけの為に作ってくれた料理が不味い訳がない。作る方だとて、「美味しく食べられるように」と精一杯の心と気持ちを込めるのだから。
 グラタンの他にも、温野菜のサラダや人参のスープ、ソーセージとざく切りの野菜をほっこり煮込んだポトフなど、テーブルに所狭しと並べられた料理を、「ピッコロさん凄いです」「とっても美味しいです」と喋りながら、悟飯は見る見る大皿を空にしていく。その食べっぷりは父親もかくやと云わんばかりだ。
 倖せそうに料理をかき込む悟飯を眺めながら、ピッコロは自分の前に置いたグラスにゆっくりと口を付けた。毎日朝一番に悟飯が裏の井戸から汲み上げる水は、無味無臭の筈なのに何処か懐かしい触りがして、柔らかくピッコロの舌に馴染む。何時もの味。決して下品では無いながらもガツガツと料理をかき込むサイヤ人と、向かい合わせに水の入ったグラスを傾けるナメック星人。地球上と云わず宇宙でもこの場にしか見られないだろう光景も、彼等にとっては何時もの日常。───ありふれた、ようやく手に入れた安寧。
 料理を食べ終えるまで後少しというタイミングで、食後のお茶を聞くのも昨日と同じ。珈琲と紅茶とどちらがいいと尋ねられ、選択肢に日本茶中国茶が無い事に首を傾げながら、茶葉を切らしたのだろうと単純に考え、今夜のメニューならと悟飯は珈琲をリクエストする。


 毎日の事でも、たった一杯の事でも、ピッコロは飲む段になってからケトルを火に架ける。


 綺麗に整理されているキッチン。テーブルに付いたままの悟飯に背を向けて、カップや珈琲メーカーの準備をしているピッコロをそっと上目で伺いつつ、───此処に来て悟飯が何時も通りではない行動に出た。
 珍しく足元に置いたままのバッグから取り出したのは、楽々と片手に収まってしまう小さな小さな黒い小瓶。自分よりも数倍耳聡い恋人に音が洩れないようにと、両手で瓶全体を覆いながらこっそりボトルキャップを捻れば、ふうわりと強くアルコールが香った。甘い甘いカカオの香りと合わせて。
 悟飯の貌に倖せそうな、それでいて悪戯を仕掛ける子供のような、何とも「らしい」笑みが浮かぶ───。


 サーバーから注いだ珈琲は深い深い色合いで、これならば以前菓子作りの本で読んで以来ずっと考えていた事はどうやら巧くいきそうだと、悟飯に手元を見られぬよう何時もよりも背を向けたままのピッコロは、安心したようにそっと一つ小さな息を吐いた。
 たわいない事だとは思う。けれど何時だったか本で見たその内容をピッコロはずっと忘れられなくて、帰宅する悟飯の上着から甘い匂いが香るようになってからすぐに、慣れない電話でほうほうの程になりながらようやくピッコロは「それ」を準備したのだ。悟飯が勤務中である平日の昼間、外のボックスに届けられた「それ」はとても小さくて、かさ張るパッケージは急いで棄ててしまった。細身と云え常人よりも大きな手にすっぽりと収まってしまう「それ」を、見付からぬよう調味料の後ろに押し込んだのは三日前の事。
 中身が何かはピッコロは勿論解っている。どうして気付くのか甘い菓子を作った時には玄関に入った瞬間からにこにこ笑う弟子に気付かれぬよう、小さな金色のボトルキャップをそっと廻す。キシリ、と小さな音と共に溢れたのは甘い甘いカカオの香り。強いアルコールの気品もあれど、間違いなくそれはチョコレートの。

 カップの珈琲にたった一滴その雫を注ぎながら、これだけ甘い香りが強いのなら、今にも悟飯は気付くのではないか、背後からは何も変わった様子は伺えないが、隠し切れず立ち篭める甘い匂いにどうして悟飯は気付かないのだろうと、いささか不思議に思いながらも「それ」を隠す事に必死なピッコロは、ピッコロの手元で「それ」の封が切られた瞬間、ピッコロからは見えぬ悟飯の手元からも、甘い甘い匂いが立ち上った事に気が付いていなかった。


 「──────ほら、飲め」
 「ありがとうございます。ピッコロさんのお水も足しておきましたから」
 「ああ」
 「いただきまー………あれ?」
 「─────!」
 「……………………」
 「……………………」
 「うだぐだ云わず飲んじまえ」
 「まだ何も云ってませんよ」
 「……………………」
 「………それより……………大丈夫です?」
 「……………………去年よりはマシだ」


 去年の今日、ピッコロさんは食べられませんからねぇと、ブルマからのウイスキーボンボン一つで酔っぱらった悟飯は、ピッコロさんにもチョコレートv などと喚きながら、噛み砕いたばかりのウイスキーボンボンをピッコロの口腔に流し込んだのだ。


 「………………すみません。でも、良い香りですね」
 「………………そうだな」
 二人の手が支えるグラスにも、カップにも、艶やかにぬめるような上質のアルコール独特の照りが廻る。

 

 悟飯のバッグに押し込められているのも、調味料のカウンターの奥に隠されたのも、小さな小さな黒い小瓶。甘い甘いゴディバのチョコレートリキュール。 
 甘いものが食べられない誰かや、アルコールが苦手な誰かへのサプライズに、そっと一滴如何でしょう………?


 ──────世界で一番甘い、漆黒の一滴。


 了