廃園

一次二次創作を含む世迷言です。何でも許せる方のみどうぞ。あくまで個人的な発言につき、転載、引用はお断り致します。

【ラブレター・フロム】

 

【ラブレター・フロム】


いろいろモチーフぶっ込んだクラステ。途中いろいろあり過ぎますが、最後はハッピーエンドです。畑さんから大筋お借りしています。※ついったで連載みたいに書いていました

 

 

 

 

 

 

【愛しき日々1】

 

 今日と同じ明日が来ると、どうして信じていられたのだろう。

 何でもない日がどれだけ貴重で、何でもない日がどれだけの予兆を孕んでいるか、俺達はかつてそれを嫌という程思い知っていた筈なのに。昨日より少し風が強かった。今日も大通りは昨日と同じに混んでいた。
 連泊していたホテルのフロントマンは今朝も礼儀正しく笑い、レンタカーの助手席でガイドブックを捲る相棒は昨日と同じに生真面目な顔をしていた。何でもない——普通とも言える日。そんな日に、世界はブロックパズルがごとく突然その様を変えた。──まるで幼子の悪戯のように。
 競り上がる海面。うねる異形。空を遮り立ちこめた霧の中で、様々な交換は問答無用で行われた。鏡の向うだった筈の隣の世界。ワンダーランドが本当の姿を見せた。何でもない——神のお告げもない日に。割れた鏡は誰にも元には戻せない。例え三回靴の踵を鳴らしても。

 相棒の見ていたガイドブックが「過去の一覧」に成り果てたその日、紐育と呼ばれていた街は、ヘルサレムズ・ロットとその名を変えた。人界のひとつ所に開いた大きな穴——異界との接点をその肚に宿して。ふたつの世界の均衡を天秤のように揺らしながら。乗せたのは、誰だ?
 HLを縦横無尽に走る大通りの一角から立ち昇る爆音。次いで周囲に漏れ出すショッキングピンクの爆煙と、腐った魚のような血臭。かつてエンタープライズを臨んだ通りは、今は通称ハングドマン・ストリートと名前を変えている。ハングドマン────文字通り吊られた男が月のない夜に笑い転げる噂話が所以だが、噂が噂で終わっていないのがこの街だ。オカルトコミックの中だけと思われていた異界の住人が、昼日中からテイクアウトの珈琲を飲みながら談笑し、ブラッドパーティを繰り広げるHLにおいて、ヒューマーの屍鬼など可愛い位だろう。

 ギシリと耳障りな擦過音が響き渡った一瞬後、物理的に押し出されるような圧迫感と共に、通りに面したビルのガラス窓が砕け散った。蜘蛛の子に似てわらわらと逃げ惑う者、好奇心に駆られてスマートフォンのカメラを向ける者、またかと言いたげに一瞥だけをくれ歩調も変えず往き過ぎる者、人間も異界存在も隔たりなく降り注ぐ無機質の殺意に、周囲は阿鼻狂乱のコンサート会場と化した。古ぼけた十階建てもの質量が、恐らく違法改造だろう地下の骨子が破壊されたか、根元からぐらりと傾ぐ。如何な異界存在といえど、その身に機械を仕込んだヒューマーといえど、物理的質量を持つ者においてはその「物体」を損なう事は甚だ迷惑である。肉片もしくは細胞レベルからの復元能力を持つ者とて、はてさて潰れた眼球ひとつ、指先の一欠片から増幅した「細胞の固まり」に元の意志は宿るのか。胡散臭いカルトとB級SFの都合の良い部分だけを繋ぎ合わせたファンタジーなど、彼のフランケンシュタインも地獄の底から片目を瞑って嗤うだろう。
 「神」がその愚かな実験結果をイエス・キリストから発表させるまでは、取りあえず現世の「イキモノ」としては人生万事「逃げるが勝ち」だ。

 四本もの足を縺れさせた異界存在の胴を絡めとるのもまた、カラフルな爆煙を割って伸ばされた、凝った青と蛍光イエローが斑に混じり、腫れ膿んだ突起から粘液を撒き散らす植物とも生物とも見分けの付かない触手とくれば、もはやその光景はキューブリックのフィルムかシュールレアリズムの幻覚か。だがそれは現実であった。非日常に見せかけた—HLの「日常」だ。再構築を耐えたそれなりの強度を誇るであろう外壁を、まるで発砲スチロールか何かのように突き破りながら次第にその数を増やしていく大小様々な触手に、ようやく到着した機動装甲警官隊が生身の人間ではとても持ち上げられないだろう巨大なガトリング銃を掃射した。同時に背後の野次馬共にも一斉警告、と言っても撃ち出されるのはれっきとした実弾だが、硬質化した体表を持つ異界人だのサイボーグだのがうようよと闊歩するHLで、7.62ミリ弾など片手で払う雨のようなものでしかない。流石にもはやビルの下半分を覆おうかとする異形に対しては12.7ミリ——いわゆる50口径弾の被弾域を重ねて対処しているものの、一本断ち切る間にそこかしこから三本増えているといった状況では焼け石に水ですらなく。

 文句を言いながら何時の間に作ったのか「全異界人に愛を!」なんて巫山戯たプラカードを掲げた野次馬をパトカーで押し退けながら何とか足場を確保したものの、これではジリ貧どころか——と、着実に人数を減らしていく警官隊が強化ヘルメットの内側で光学二重スクリーンを睨みつけ、点滅する赤い光点の数を確認しながらほぞを噛む。そんな時、正しく生命と肉体の楯として制圧に当たろうとしている彼等から少し離れ、野次馬という名の余計な被害者を出さぬべくバリケードを兼ねて横付けされたパトカーの一台から、ピリリと無個性な着信音が響いた。

「遅えぞ、何してやがんだコラ」
『まぁまぁ、ちょっと確認を取るのに時間が掛かってしまってね。……間もなく、先にウチのアタッカーが着く筈だ。まだ周囲に怪我人がわんさかいるだろう? 救護チームを除いて警官隊を下がらせろ』
「俺に命令すんのか、アア?」
『まさか』

 乗っていたパトカーのボンネットで片腕の千切れた警官隊の身体が跳ねる。ぶつかった衝撃で貫通弾さえ防いでみせる強化ガラスに蜘蛛の巣が走った。一人で一小隊をも制圧可能な特殊強化装甲をTシャツか何かのように引き裂くなど、「あれ」は動物なのか植物なのか——そも「イキモノ」なのか。10秒もしない内にのたうつ身体に鎮静剤を打ち、救護チームが後方へと退避させる。何処かへ飛んでいった腕さえ見つけられれば、一週間を待たずに前線へ復帰出来るだろう。「此処」はそういう街だ。フロントガラスの交換の方が面倒かもしれない。

『ただの『お願い』だよ、警部。市民としての、善意に満ちた、ね』
「えらく真っ黒な『善意』だな」
『ひどいなぁ』

 バリケードの向うに桁違いの火柱が上がった。ガラスどころか車体全体を震わす衝撃波に、助手席に座ったままの男の右手が車内に設置されている指揮用コンソールを展開し始める。全身を強化装甲に覆われ轟音の中で戦闘を繰り返す隊員達に、このご時世ハンドスピーカで何を叫んだところで子守唄にもなりはしない。タンタンタンッとキーボードにエンターを叩き込んだ瞬間に、全隊員の光学モニタに大きな赤文字が踊った。

「STEP BUCK!(下がれ!)」

 混乱を極める程に指揮官の指示は絶対である。一瞬の躊躇が現世との別離になる——それは、数年前までは卵の殻を銜えていた半人前をも歴戦の猛者に変えたHLで、流された同僚の血の量と共に叩き込まれた教訓だ。網膜が文字を読み取り、視神経がその形態を伝え脳がその意味を引き出してくる前に、生存本能が隊員達の身体を動かした。応答の声もなくざざっと波が引くように一気に前線が下がる。一拍おいて彼等がいた場所に極彩色の触手が走り、今までの爆炎とは明らかに違う超高温の炎の帯がそれを迎え撃った。

「どっけぇええええ!」

 外部集音スピーカが車内の男の耳に聞き覚えのある声を叫ぶ。声色だけ聞けばまだ若者の域を出ていないだろう粗野な男の声だ。「てめーら邪魔だっつの一緒に消し炭になりたくなきゃさっさとカーチャンのベッドまで戻んな!」おそらく想像通りだろうが車外に出た男がデジタル光学仕掛けのズームグラスを覗き込む。まるで円舞台のように開いた現場を、大人の胴体程もあるだろう太さの触手が何本もの鞭のようにうねり走る。そんな中を一撃も喰らう事なく飛び退き避ける銀髪の青年がいた。自らの背丈よりも長大な刀身を軽々と振り回す様は、とてもその見栄えに合う重量を操っているとは思えなかった。斬撃を追うように伸びる炎が生き物のように触手を灼いていく。

「おぉらっ!」

 チンピラそのものの声を上げながらも、確かに男の部下である機動装甲隊を「邪魔」と一言で斬って棄てた戦闘能力はS級だ。

『ウチの子はなかなかやるだろう?』

 手に持ったままのスマートフォンから、何度会っても上っ面しか見せないスカーフェイスの声が響く。

「ちょっとママのお躾が甘ぇんじゃねぇのか?」
『お父さんとのコミュニケーションが少し乱暴なんだ。反抗期の男の子だからね』
「家庭の問題を外に出すんじゃねぇよ」
『あっはっは。相変わらず手厳しいなぁ』

 優男を装った声音は何をどう刺してもひらりひらりと空に舞う蝶を追うようで。

「ありゃ『ウチの子』なんつータマじゃねぇだろ」

 もはや件の現場は銀髪の青年の独壇場だ。重力を無視した跳躍力をみせて跳ね回る様は、まるで風と陽気に戯れているかのようにすら見えた。

「ザップさん!」
「おっせぇええぞ魚類! 俺様の炎で干物にでもなったか?!」
 も少し炙ればイイ匂いでもしてくんじゃねぇのか? 

 集音マイクが拾ってくる会話にはおよそ危機感が感じられない。

「ザップさんっ! 上っおっきいの来ますっ!」
「わーってらぁっ! 魚っ!」
「斗流血法・シナトベ——」

 聞き慣れぬ声と共に、遠目にもはっきりと見てとれる程に風が渦を巻いた。砕かれ残骸と化したアスファルトやビルの外壁が竜巻のように舞い上がる。飛ばされないようにか必死に電柱にしがみつく少年の姿がひどく浮いて見えた。戦闘の場に一般人など命取りにも等しいもので、それを知らない彼ではなく、知らないふりで死なせる彼等でもなかった筈だがどうした事だろう。拾う会話から彼等がどうやら知り合いらしい事は解る。そして男の知らない面子はまだその場に存在した。小柄な黒髪の少年と違い、透明感のある水色の肌、およそヒューマーでは有り得ぬ面貌。人語を巧みに使い問題なく会話している事から、「人界の誰か」の許で過ごした事があるのだろう。その口調は戦闘の最中でさえ、異相の彼を「魚類!」と呼ぶ銀髪の青年とは違い、切迫した中でも非常に礼儀正しい。

「足場がギリギリ過ぎんだよ!」
「あなたが対応出来ない訳ないでしょう」

 ただ闇雲に筋肉を膨張させるのではなく、バランスよく鍛え上げ絞られた身体と無駄のない動き。彼の手にある鮮血色の三叉槍を見る限り、異相の彼もまたザップと呼ばれた銀髪の青年同様に、自らの血を操りそれを武器として「ひと」に仇なす「ひとならざる」ものを狩るのだろう。

 「大崩落」と「再構築」——世界の「組み替え」が行われたその遥か以前から、政財界の上層や軍部、警察機構の一部の人間の中に「暗黙の了解」として存在する国家を越えた特殊組織——「牙狩り」。童話の中だけの筈のフリークスから、映画の中だけの筈のクリーチャーから、そして伝承の中だけの筈の「血界の眷属」から、人々を、人界を護るべくその身とその血に力と意志を練り継いできた者たち。殲滅するものどもに抗すべく異端とも誹られる力を振るい、修羅の狭間に立つ。中には「ひと」を棄てた者さえいると聞く「彼等」は、決して格好良いだけの夢物語のヒーローなどではなかったが、「人界を護る」——いっそ無骨とも呼べるその意志と結果に、冠を戴く者ですら無言で「最高機密」の手紙にサインすべくペンを取った。

 「ひと」の敵は「ひと」に非ず、「ひとならざるもの」に対峙するもまた——だがそれも、「ひと」と「ひとの世界」を護る為に。

 「ひと」を棄てられない「自分たち」の代わりに血を流し生命を泥土に落とす「彼等」の言に、陽の当たる場所で愛する者と共に時を過ごせる自分たちが何の異を唱えられようか。流した血に能うだけの「結果」が「世界の均衡」であるならば、天秤の片方に乗せられた「世界」と同じ重さの「願い」が叶えられますようにと、「高い位置」にて「持つ」人間は祈らずにはいられない。「ひと」の為に戦う誰より「人間らしい」彼等の、「牙狩り」としての彼等ではなく、ひとりの「ひと」としての「願い」があるならば、その「願い」を持って、「ひとを棄てた」と言われる者も「ひと」であり続けられるのだろう。懸けるものは己の「生命」と「世界」、そして得られるものは「賞賛なき日常」で十分と不敵に笑ってみせる彼等が、どうしてもと望む「願い」があるのなら、それが例え宇宙の星を掴むようなものであろうと叶えばいいと、「ひと」の枠から出られない「人間」は思うのだ。
 「人間」には思う事しか出来ず、きっとそれすらスコープの向うの銀髪の青年は「くっだんねぇ」と葉巻をふかすだろうし、何処かの番頭は胡散臭い笑みを浮かべるだけだろう。柄でもねぇ、と男は思う。自分は本来そんなお人好しではなかった筈だ。裏を読んで思考を回す事、生命を護る事、仕事を遂行する事。HLは両手に幾つも抱え込める程希望に満ちた街ではない。何事にも優先順位はあり、人生は逃れようもない選択肢の連続だと唄ったのは何処の聖職者だったか。多数を救う為に少数を犠牲に差し出し、選ばれた少数を護る為にその他の多数に目をつぶる。そういう生き方を男は知っていたし又選んでもきた。それでも——それでもせめてと願ってしまうのは。ポーズか素か、悪ぶった言動の端々に、崩れる事のない「人畜無害」な仮面のその裏に覗く、誰よりも「ひと」らしい部分に気付いてしまった所為だろう。「多数」を救う為に犠牲になるのは「彼等」で、そして唯一を護る為に自分達の生命をチップのようにゲーム盤に乗せて、「プレイヤー」を護るのもまた「彼等」なのだ。「彼等」は自らが「チップ」である事に誇りを持っている。「彼等」の「プレイヤー」を護る剣であり楯である事に誇りを持っている。誰に、何も、解ってもらえずとも。それは、「彼等」だけの「誇り」。血と生命と人生全てを賭けた、「人界」の代理人たるポーカーゲーム。相手の手札は見えずジョーカーは何枚あるかも解らない。それでも「彼等」は彼等のキングを推し戴き、カードの一枚ですら諦めず。場の構築に多少は手を貸す事は出来ようとも所詮ギャラリーにしかなれない——「プレイヤー」にも「カード」にも「チップ」にもなれない自分達には、せめて何処にいるとも知れぬ「神」とやらの気まぐれを願うしか出来ない。
 動ける機動隊員に周囲を囲うようにバリケードを張らせる。重さが一トンもあろうかというパワードスーツすら、人の世の常識を弄ぶ異界の住人に対して何ら強制力を持てやしない事実はあっても、それでも道往く人々の楯にはなり得るからだ。楯にしか成り得ない現実に歯ぎしりしているだろう部下達の無念も、護れない悔しさも、自分達を凌駕する存在への畏敬も嫉妬も羨望も、全部全部巫山戯た軽口と飄々とした胡散臭い「笑顔」で流して、三ブロック先のショップへお気に入りのサンドウィッチを買いに行くような足取りで生命を賭けに行く「彼等」に、自分達は全てに蓋をして「願う」事しか出来ないのだと、否応無しに気付かされる。全くらしくない。

 

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 指示通り半円を描いて壁に徹している部下を掻き分けて前に出る。スコープ越しの画像にもマイク越しの声にも飽いたし、何より自分の目と耳で知覚したものしか信じられないし信じてはいけない。

「警部! ここは危け」
「るっせぇ! んなこた解ってんだよ! 黙って雑魚抑えてろ!」

 最後まで指揮を取り、任務遂行と部隊の生存の為に指示を出す事が「責任あるもの」の務めだと解ってはいる。だが、「彼等」が、部下が生命を賭けて臨んでいる時に安全圏から眺めているだけなどと、とても男の矜持が納得出来るものではなかった。異界と人界の狭間に踊る「彼等」の舞台の露払いしか出来なくとも、「観客」にだって意地はあるのだ。
 もはや騒ぎの発端となった建物はもはやビルの外観を残してはいなかった。恐らく「核」は地中なのだろう、アスファルトの路面を割って本数を増やしていく触手は、逆巻く突風が切り刻み劫炎が灼き祓う端から新たに出現し、獲物を横取りされたのを怒るかのよう相対する青年達に四次元的な角度から襲撃を繰り返し、また周囲のビルにまでその破壊の手を伸ばし始めていた。

「…ちっ、切りがねぇな……! おい陰毛!」
「エネルギーの固まりが地下に球根みたいになってます!」
「球根って…! 何かこー弱点みてーなもんは見えねーのかよつっかえねぇな!」
「そんなご都合主義みたく使える訳ないでしょ! それにその呼び方止めてくださいよったくセンスないな!」
「ああ!?」
「斗流血法・シナトベ──人身の伍・突龍槍」

 ぎゃんぎゃんと煩く喚き合う二人に狙いすましたかのよう降り注ぐ破片と言うには巨大な塊が真下を影に隠した瞬間、それはまるでブロックチーズか何かのよう妙にきれいな切断面を見せて両断された。

「空斬糸」

 続いて四方に広がる赤い糸状の血が、次々と降る破片に絡み付き、その落下を捕らえる。

「斗流血法・カグツチ──人身の四」

 絶死のただ中にいながら、いつか「職場」ライブラリの図鑑で見た東洋の「死者の花」のような、どこか陰惨な美しさに少年の動きが止まる。周囲に咲き誇る――赤、赤、赤。「彼等」に流れる、自分にも流れている生命の色だ。細めた目で凝視する少年の目に何が映っているのか男には何となく解る気もしたが、今はそんな場合ではない。呆けたように立つ少年を避難させた方がいいかと男が飛び出そうとしたその時、燃え盛る炎と鮮血色の意志が「物理的な質量」を持って小柄な身体を取り巻いた。

「紅蓮骨喰」

 少年の前に出るや踏み込みざまに一凪ぎ、そして振り返りざまにまた一凪ぎ。拳大に砕かれた瓦礫は、少年の身体に近付く前に御丁寧にも炭となって粉と散った。

「スゲェ!!」
「あのにーちゃん強ぇな!」
「ほんとにヒューマーか?!」

 沸き起こる歓声。異形の彼の「技」で落下速度は抑えられているものの、雨のよう降る「質量」をまた「質量」で押し返すなど、全くもってコミックの世界だ。それとも此処は古代ローマか。命知らずにも見物客である事を止めない「住人」にとっては「コロッセオ」と同じ娯楽か。「世界」の天秤も「彼等」の生命も、ワインや果物と一緒に咽に流し込み愉しむ極上の遊戯に等しいのかもしれない。

「さーかーなぁっ! どうせならきっちりぶっ飛ばせ! 中途半端な真似してんじゃねーよっ!!」
「飛ばして二次被害を出すよりも貴方の炎で砕いた方がマシでしょう」
「こっちに被害が出るわ! こいつ目ん玉使えなくなったらもう陰毛しか残んねぇんだぞ?! 『陰毛・ザ・陰毛』だぞ?!」
「だーかーらーそのセンスねぇ二つ名止めろ! んで単語で呼ぶな!!」
「レオナルド君、そこからあの壁の奥見えますか? 避難しそびれたスタッフが残ってると厄介で」
「ちょっと待ってくださいね…」

 助けた者と助けられた者の会話とも思えないが、喧々囂々とコントのような言葉のデッドボールを投げ合いつつも、夫々が夫々に役割を果たしている辺りは流石「牙狩り」――いや、「世界の均衡を保つ者」か。

「大丈夫だと思います! 人間……取りあえず『こっちのひと』のように見えるひとはいません!」
「じゃあやんぞ!」
「レオナルド君は後ろに下がっていてくださいね」

 黒髪の少年が慌ててHLPDのバリケードの影に入るのと同時、今までとは比べ物にならない規模の突風――いや、竜巻が周囲の人間の頬を横殴りに撫ぜた。ありえない風速が大気の中に真空の刃を生んでいるのか、所々でランチャーの直撃にも耐える筈の楯や、機動装甲隊のポリススーツに滑らかな切り口を開けていく。

「警部! 危険です!! せめて車の中に!」
「るっせぇっつってんだろが!!」

 もう誰に遠慮する事もないと速度を増した風の渦が、その刃の触れるもの全てを切り裂き舞い上げていく。その対象はもはや無機物も有機物も全く問題としていない。先程から捕食対象を取り上げられて――恐らく「生物」の呼気に反応しているのだろうが――残ったのはお前等だと言わんばかりに近接の「彼等」を執拗につけ狙う触手も、透明な何かに阻まれているかのように断ち切られ、切断面から飛び散る粘液は地表に触れる前に踊る劫火に灼き祓われた。

 「斗流血法・カグツチ──」
 「斗流血法・シナトベ──」

 静かな声が、「彼等」の技を紡いでゆく。特殊な視覚など持たない自分にも、「力」が物理的に収束していくのが解る。収束したその先――血色の焔獄が噴き踊った。

「七獄!」
「天羽鞴!!」

 風に舞い四方八方に伸びる焔に、周囲の野次馬から一際大きな歓声が上がり、一瞬聴覚が持っていかれそうになる。自らの及ばぬ先で演じられる生と死の狭間に繰り広げられるエンターテイメントの見物料は自分の生命だ。わあわあと手を叩いて騒ぐ見物客を嗤えない。自分も同じだと、思わず噛みちぎった煙草の苦みが咥内に広がった。『ウチの子はなかなかやるだろう?』――思い出す。秘密結社幹部の声ではない。脂と煙が染み付いた休憩室にある壊れ掛けのブラウン管から垂れ流される安っぽいドラマの世間話のような、からかうような、面白がるような、ほうらと宝物を自慢するインテリのような、底の見えない楽し気な声を。

「ちっ」

 茶色に濁った粘液がアスファルトを汚す。

「ったく、何が『ウチの子』だ」

 巫山戯た態度を取ってはみせても、一歩対応を間違えれば即座にこちらの首が落とされるタイプだと知っている。生死を分かつ状況判断の的確さ、いざという時の非常さ、その判断の実行可能なものとする類いまれな戦闘能力。まだ若いだろうに相当の修羅場を潜ってきただろうアレを、子ども扱いするなど全くもって巫山戯た話だと男は本日何度目かの苦虫を噛み潰す。

「さっすが俺様! 最初っからこーしたら良かったんだよ。グダグダグダグダ堅っ苦しい事ばっかり言いやがって!」
「何をバカな事言ってるんです。住民の避難も終えない内に灼き祓いでもしたら、周囲にどれだけの被害が出るか解ってるんですか?」
「出してねーだろぉ?! こちとらきっちりケーサンしてんだよどっかのサカナくんとはちっげーの」
「出さない為にこっちが苦労してるんでしょう。一応ヒューマーの部類に入ってるのは身体構造だけですか。その猿から進化した筈の頭蓋骨にはちゃんと脳味噌入ってるんですか。まさか下半身に脳がある訳じゃありませんよね。小さい頭の小さい脳でも少しは考えてください」
「小さいカオは美形のショーコだ!」
「今はそんな事言ってる場合じゃないでしょ! ツェッドさんも!」
「あ、はい」
「んだと陰毛テメこのコラてめーなんか」
「いいっ加減にしろこのガキ共!! まだ終ってねぇだろが!!」
「ああ?」
「え?」
「あ」
 リラックスの域を越えてただの口喧嘩と化していたやり取りに男の神経が切れそうになる。

「! あーっ?!!」

 言わんとした事が解ったのか飛び出そうとした小柄な少年の首筋を引っ掴んだ。そのままアスファルトに捻倒せば、カエルが潰れたような呻き声が聞こえた気がしたが、そんな事は気にしない事にする。

「出るな!」
「だって!」
 見た感じ戦闘には加わっていなかった少年がじたばたと慌てるところを見れば、やはりどうやらこの一見「普通」の少年にも何らかの特殊能力があるらしい。先程から聞こえていた指示の声に納得のいく説明はもらえるだろうか。抑えられた頭を精一杯上げて見据える少年の目が、見たこともない程の「青」に輝いた。

「ザップさん!」
 ――まだ、です!!
「あああ?!」

 銀髪の青年の声が裏返るのが早かったのか、物理的にその身体が逆さに吊るされるのが早かったのか、ちらほらと辺りに焦げ臭い燃え滓が散るなか、先程彼等が刻んだものとは比べ物にならない太さの触手が一本、青年の身体に巻き付き、押し潰すように締め上げた。その表皮は今まで見ていたものとは違い、金属的にすら見える硬質な輝きを放っている。

「そいつが本体です!」
「ザップさん!」

 騒がしい中で何故か耳に届いたミシリという不吉な音と共に、見上げる「牙狩り」達の顔にやけに鮮やかな赤の雨が降った。

「――! っがっ!!」
「ザップさん!」

 締め上げられ折られた骨が肺を傷つけたのか、捕捉され空中に持ち上げられた銀髪の青年からはさっきまでの威勢のいい減らず口は聞こえてこない。戦闘において達人は自らの感覚のみならず呼気までも自在に操ると聞くが、逆にその呼気が整わぬとなれば「ひと」を越えた「技」もその手を離れるのだろうか。数分前まではその赤に炎を纏っていた彼の血が、空中で咳き込むほどに路面を雨のように濡らしていく。

「ツェッドさん!」
「斗流血法・シナトベ──」

 再び大気が意志を持ち始めるが、術師の気の乱れによるものか、自分の目から見ても焦ってみえる術は、それ単体では銀髪の青年を捕らえる触手を切り裂くには至らない。

「――くっ」
「………ばっか、やろ…」
「ザップさん! 大丈夫ですか?!」
「どけ……っ!」
「おいっ!!」

 仲間を見上げる彼等の隙を突くように、其処かしこで割れたアスファルトが宙に弾け、新たな触手が飛び出す。ナマモノに対しキーパーソンである青年が身動き取れない状態では、この際部隊の損害を無視してでも光学的な重火器で推してみるしかないかと周囲の残存火力に視線を巡らせたその時、見覚えのある長身のシルエットが視界を横切った。

「………あ――……」

 「先に」と聞いていた以上、想定外だが想定内だ。だが間違っても期待してはいなかったのも本当だった。そこまでHLPDは落ちてはいない。男の前髪に半ば隠れた眉間に深い皺がよる。

 

 

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 待ってはいない。本当に待っていた訳ではない。
 けれど自分がそう思っているのを知っていて、わざと男が「待っていた事を知られたくないと思っている」事を「解っている」ふりをして、あえて「そんな事は知らなかった」顔をしてみせるだろう。あの影は、記憶にあるがままの胡散臭い顔できっとへらへら笑う。そうする事を男が一番嫌がると知っているからだ――要するに、裏の裏まで読み切ってかつ相手の一番嫌がる事をピンポイントで狙える程に、互いに相手の性格を理解しつつ徹底的に相性が悪いのである。そしてふたりともいい歳をした大人である事から、たかだか「好き嫌い」だけで相互関係のメリットを斬り捨てる事も出来なく、極力言葉を省いた会話をしたくないばかりの阿吽のやりとりが、何故か周囲の関係者から見れば「気の合う友人」と見られているらしい事も男にとっては甚だ腸の煮えくり返る事態だ。しかも向うはその不本意極まりない誤解を解くどころか、時折わざわざ煽っている。その理由は前述につき以下省略。
 恨みがある訳ではない。憎んでもいない。だが嫌いだ――何を知っている訳ではないけれど、自分は「嘘」が上手いのだと思い込んでいるあのやり口が。知らぬは本人ばかりなり、きっと「彼等」も解っていることだろう。それでも口に出さないのは、その「嘘」が「彼等」の為に吐かれたものだからだ。
 馬鹿馬鹿しいと、男は思う。

「――んなモンとっくにお見通しだろうがよ」

 三本、四本と再び異形の触手がアスファルトを割り、ゆらゆらと獲物を求めるかのように彷徨う。自分の方に数本のそれが突き伸びて来ようとも、異形の青年が投げた血色の槍が目視で追っても間に合わなくとも、男は微動だにしなかった。縒れて短くなった煙草を投げ捨て、何でもないかのようにコートの胸元からしわくちゃのソフトケースを引っ張り出す。体表温度か赤外線か、「餌」の気配を感知したのだろう触手の先端が更に鋭さを増した。後一メートル。ポケットから取り出したジッポは折悪しくオイルが切れかけていたらしい。小さな火花は落ち着かなく歯を焦がすばかりで、中々思うように点かない。後三十センチ。

「警部!」

 何度か余計な手間を掛けさせてくれた年代物がようやく性根を決め、湿気かけた歯をいぶり始めた。肺に煙が満ちるのが解る。後十センチ。八センチ。
 五センチを切っても男は動かない。恐ろしいまでの動体視力で迫り来る触手を見据えながら何でもないかのように煙を吐く。
 実際何を危惧する事ももうなかった。再び本数を増やしていくバケモノの事も、触手に捕らえられ血を吐いてもがく銀髪の青年の事も、その彼を心配そうに見遣る彼等の事も、未だやんやと騒ぎ立てる野次馬共の事も、何ひとつ。
 信頼ではない。信用などしていない。片割れならともかく、もう一方のにやけ面には今までどれだけの苦虫を噛み潰させられている事か。
 ヒューマーにしては大柄な、異界人に引けを取らぬほどの巨躯に赤味がかった髪。燃えるようなその色を燈火に、「彼等」はこの異界と隣り合わせの境界都市を覆う霧の中をくぐり抜け走り抜けるのだろうか。
 そして。
 その隣にたださり気なく、何でもない「普通のひと」のような顔をして姿をギャラリーの中に滑り込ませた細見の影。
 ───後三センチ。
 視界のほぼ全てを異形の色彩に染められても男は微動だにしなかった。その片目を隠す長い前髪が寄せる風圧にふわりと浮いた瞬間、男の視界に映る世界がその色を白く変えて煌めく。

「………ケッ! むっかつくわ」
「…何の話だい」

 背後から聞こえる空とぼけた声がわざとらしい。
 どういう原理か知らないし知りたくもないが、「彼等」──「牙狩り」の血と技をもって瞬時に己の触れたものどころかその周囲に至るまで凍りつかせるなど、そこらに貼っているリバイバル映画の女王か何かか。いやきっと悪名高き彼女の方が、自分の背中にいるだろう男よりもまだマシだ。凍気に消えた火がまた更に憎たらしい。点けたばかりだったのに。

「てめぇ今度カートンで持ってこい」
「あれ? ここは感謝状くれるところじゃないの? 『一般市民のご協力』ってやつにさ」
「何なら今すぐワッパくれてやりてぇとこなんだがな」
「折角助けてあげたのに」
「ふざけてろ」

 何が助けただ。恩着せがましいにも程がある言い草が腹立たしい。表皮が排する呼気までもが凍りつき、巨大な氷像と化した異形に迷いない足取りで近づく巨漢をの背中を見遣る。並大抵ではない鍛錬を積んだのだろう、「作り物」ではないと即座に見て取れる猪首。真っ直ぐに伸びた背筋。手足合わせて四本しかないヒューマーにしては大柄な体躯を(奴がデカいだけであって断じて俺が小さい訳じゃねぇ)このHLでは珍しいクラシカルスタンダードに包み、少々目つきの悪い風貌を厚く額を覆った前髪に隠して悠々と歩を進める姿は、貴族のお坊ちゃんだと揶揄を含んだ噂を軽々と吹き飛ばす。年齢こそ未だ若造と呼ばれる歳であろうとも、その風格は既に王者のそれだ。