廃園

一次二次創作を含む世迷言です。何でも許せる方のみどうぞ。あくまで個人的な発言につき、転載、引用はお断り致します。

【透きとおる愛を、あなたに】

 

 

 

 

 

 

 

 

「教授も孫先生も休憩になさいませんか? 朝からずっと温室に籠りっぱなしですよ。冷たいものでもお煎れしますからどうぞ」
「ミス、マリア」
「やぁ、それはありがたいね。そっちの方はどうだい? 孫君」
「あとはこの苗の成長記録を写せば一区切りといった所です」
「ではさっさと終わらせてお茶の時間といこう。マリア女史の煎れたてのお茶は研究記録の一つに匹敵するぞ」
「そうですね、ずっと暑いところに居たから喉がカラカラですし、楽しみです」
「口の上手な人達ばかりですこと。褒めて下さった御礼には何を差し上げたらいいのかしら」
「それでは『愛』を」

 

++ 透き通る愛を、あなたに ++

 

「あれ? あまり気温が変わりませんね。この部屋にも苗を置き始めたんですか?」
 作業用の白衣を脱ぎながら研究室のドアを開けた悟飯を、少しばかりむっとした熱気が出迎えた。
 季節は二月半ば。研究対象である各種の苗を育てている温室は25度前後の気温に常に保たれていて、記録のチェックに一時間も掛かれば汗ばむ程であったが、もともと暑い場所でもない西の都である、窓の外を眺めればまだまだ粉雪の舞う季節、暖かい温室からワンフロア挟んだ研究室に戻れば、自然ヒーターの傍へ近寄ろうとする足の早くなるのが常であるのに。
 不思議と思って見渡しても部屋には特に増えた緑も見えず、悟飯は疑問のままに首を傾げた。一足早く部屋に戻った銀髪の老教授は、若き新米教授のどこか幼く見える仕草にこっそりと忍び笑いをもらしながら、トレイを捧げ持つ優秀な秘書の思い遣りに、片手を胸に付け、ゆっくりと頭を垂れる事でその謝意を優雅に表してみせる。
「優しい愛情に心からの感謝を。レディ」
「どう致しまして。冷たく引いた汗に風邪でも引かれたら私が困りますもの」
 お若い孫先生だけでしたらそのまま放っておきますけど───。
 作り事めいた優しい掛け合いに、なるほどと悟飯は納得する。確かに朝から三時間ばかり頑張った労働の代価として、首筋に伝う汗は拭えばその手を光らせる程であったけど、その分、急激な温度の変化についで体温を奪うのも激しい。ただでさえ風邪だインフルエンザだと流行っている季節に、その変化は体力の余っている自分はともかく齢を重ねた老教授の身体には少々響きが過ぎるものであったろう。
「まぁこのままでも御身体には良くありませんから、ゆっくり室温を下げて参りますわね」
 お二人とも、こちらで喉を潤した後にシャワー室へどうぞ、と、手渡された大きなグラスから漂うのは、冷たく冷やされて尚香気を失わぬかしいだ香り。漆黒に近い液体の中には綺麗に白い氷がカラカラとこそばゆい音を鳴らしている。
「珍しいですね。今日はアイスコーヒーですか」
「ええ、今日はね。たまには紅茶以外のものでも変化があってよろしいでしょう?」
「成る程。ミス.マリアの愛情で甘くなる訳か。これは心してご馳走になるとしよう」
「三時にはちゃんと準備してございますから」
「教授?」
「おや、気付かないかね?」
「?」
「今日みたいな日は常に気を配っていなければ失礼に当たるというものだよ。特に麗しきレディの前においてはね」
「でも、そういうのも孫先生らしいですわね───」
 くすくすと笑う秘書と和やかに軽口を交わしながら、ちょんちょんとマクガレンが手に持ったグラスを突ついてみせる。
 大人の余裕にはいつも敵わないと思いながら、喉に滑り込む冷たさと心地良さに知らずグラスの半分ほども一気に干して、つられる様にその中を覗き込めば、少なくなった珈琲からまだその溶けきらぬ姿を見せる白い氷───その形はハート型をしていて。
「あ」
 一言声を上げたままきょとんと氷を見つめる悟飯に、マクガレンが茶目っ気たっぷりなウインクを一つ。
「そんなに急いで飲んでしまったら甘くないだろう」
「てっきりブラックだと思ってました───これ、ミルクですか?」
「ちょっとアレンジしたものをね、製氷器で凍らせたの。ハッピーバレンタイン? 孫先生」
「ありがとうございます」
「私は孫君のような勿体ない真似は出来ないな。ゆっくり味わわせてもらうよ」
 見せつけるように殊更ゆっくりとグラスに口をつける老教授に、何もかも心得ている秘書がにっこりと笑う。
「教授は甘党ですものね。教授の分には氷とは別にシロップも入れてございますから、そんなに待たなくとも甘い筈ですわよ?」
「おお、エミリに妬かれてしまいそうだ」
「奥様にもちゃんと準備してございますからご心配なく───」
 穏やかに流れる時間の中で、悟飯の脳裏には全く別の人影が浮かんでいた。そう云えば今年の朝もいつも通りに過ごしたけれど、モノの食べられない「あのひと」の為にちゃんと準備はしてあるけれど、でも───!
「ミス、マリア。その製氷器って何処で売ってたんですか?」
 勢い込んで訊いて来る口調の真剣さに、あららと秘書は目を丸くし、老教授はヒュウと口笛を吹く。
「まだ売ってたら、買って帰りたいなと思いまして───」
 選びに選んだ手袋は、僕の気持ちの温度みたいな深紅。勿論喜んでプレゼントに捧げるけれど、やっぱり僕も───『愛』を贈りたい。
「あれは近所の雑貨屋さんで見つけたの。私が買ったのが最後だったからお店にはもう無いと思うけれど、お入り用でしたら、宜しければ私のを進呈致しますわ」
「いいんですか?!」
「ええ。だって私はもうこうして使い終わりましたし」
 洗って給湯室に置いてございますから、後でお渡し致しますわね───との台詞も聞き終わらぬ前に、ありがとう感謝しますと残った珈琲を飲み干すなり悟飯は秘書の手を──彼女が痛いと眉を寄せる程に──握りしめ振り回した。

 ───今日は二月十四日。バレンタイン・デイ。

 愛しいひとに、大事なひとに、大切なひとに、その想う気持ちを届ける日。
 贈り物にはチョコレートが定番だと巷では甘い匂いが満ち満ちているけれど、チョコも珈琲も食べられないあなたの為に、僕は透明な愛を贈ろう。
 家に帰ったらすぐ水を張って───そうだ、キッチンの冷凍庫ではバレてしまう。仕事部屋の簡易冷蔵庫で作ろう。どうにかして見られないように水を張るかが問題だけど、其処はそれ、あのやんちゃ坊主をけしかけさせてもらうとしよう。

 ゆっくりゆっくり───でも今日中に、透明なハートを作ろう。
 ほんの少しだけ砂糖を入れて、透明な甘さを、綺麗な水に浮かべて。

 ああ───どんなカオをするだろうか。