【SSS-01】
[chapter:■001:晴れた日に■]
晴れた日には、何をしようか?
カーテン越しの日射しに眸を伏せながら、もう少しだけ、朝寝坊を決め込むのも気持ちいい。
遅い朝御飯をバスケットに詰め込んで、庭の木陰でゆっくり頬張るのも悪くない。
ショッピング?映画?ドライヴ? ───貴方は何処へ行きたい?
………それとも、
折角の日射しが勿体無いと、貴方は家中のシーツやカバーをめくってゆくのかな?
来客も来ない、何の予定もない、
貴方だけが眸の前にいる休日のこんな晴れた日には。
誰とも逢わず、何処へも行かず、
貴方を抱き締め寝転んで、開け放った窓に揺れるカーテンを眺めていたい。
………煎れたてのコーヒー、立ち上る湯気越し、
伸びた前髪の隙間から覗いてみれば。
きょとんとした貌の貴方が素直に僕の言葉を待ってる。
……………さて、どうしようかな?
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[chapter:■002:手■]
眸の前に、差し出されている手が、あなたには見えていますか?
大きな手や小さな手、しゃがみ込みうずくまるあなたの視線まで下げられた両手。
一歩離れて、そっぽを向いて、………それでも、あなたへ向かって伸ばされた右手。
掴んだあなたによろがぬよう、あらぬ方向へ視線を投げながらも、その足はしっかりと大地を踏み締め、備え。
誰も、あなたを無理に立ち上がらせようとはしない。
……それは、あなたがそれを望まぬ事を知っているから。
………そして、あなたが自分自身の意志と力で立ち上がれる事を信じているから。
だから、
立ち上がろうとしたあなたがふと廻りを見回した時、
樹木のように、岩のように、───ただ在るがままの物となって、あなたの支えとなる為に、
何も云わず、何も聞かず、──────黙ってその手を差し伸べる。
どんなに滅茶苦茶で、みっともなくったって構わない。ただあなたがあなた自身であればいいと、
願う事は、それ以上でもなく、それ以下でもなく。
今は泣いていても、やがて自分で涙を拭い、
自らの意志でその歩みを決める、その強さを僕らは知ってる。
揺るぎなく惑いない、その眸の強さと煌めきを。
「……………どうした?悟飯」
「ピッコロさん」
「ああ………TVか。これは……10年前の地震か?」
「そうです。……………あれからもう10年も経ったんですよ」
「………もう10年、か……………」
丁度悟飯の座るソファの向かいにあるTV画面にはかつての大火が映し出されていた。闇の中、密集した街並を舐めるように広がったオレンジの焔。倒壊した建物のすぐ横で、身一つで逃げ延びた老人が惚けた貌で瓦礫を眺めている。
「悟飯?」
慰めるよう、背後から黒髪を掻き回した手を、悟飯は黙って引き寄せる。
──────「死にたいのなら何時でも」と悪態を吐きながら、この手は僕の生命を拾い上げた。
「あの日、組織された軍より早く、あちこちから沢山の人々がその手を差し伸べた。損得じゃなく、誰かの指示でもなく、ただ助けになりたくて。………僕らは学んだ筈だった」
「何も持たなくとも、例え身一つだって、ただその場に居て手を差し伸べる事だけで出来る事がある事を。誰かの救いになれる事を」
「これから出逢う大切な誰かの笑顔を取り戻せる事を、僕らは確かに学んだ筈だった」
「悟飯」
「………知ってる?ピッコロさん。………この前の南方諸島の津波の時にね、ある島では、誰より早く来て助けてくれたのはテロリストだったんだって」
「………………………そうか」
「自国の軍隊より早く、国連軍より早く、テロリスト同志のネットワークで津波を知って、発生の20分後には既に救助のメンバーが来てくれたんだって」
「……………そうか、早いな」
「例えテロリストだって誰かの為に、我が手我が身を差し伸べる。………そして次の日には別の場所で引金の引き方を子供に教えてる。理想の為に、敵を殺せと」
「…………悟飯」
「………僕らは学んだ筈だ。今の時代だけじゃなく、連綿と続く歴史の中で、確かに差し伸べる手の意味を、差し伸べられる手の暖かさを、確かに学んだ筈なんだ。それなのに」
「……悟飯、もういいから」
握られた右手をそのままに、残る左手で背もたれ越し悟飯の頭を抱え込む。微かに震えるくせのある黒髪。
目許を覆った手の平に感じる熱い感触。
「……………どうして戦争がまだ終らないんだろう………、どうして誰かに差し伸べたその手で、誰かの笑顔を奪うんだろうね……………」
「…………………悟飯、もう」
ピッコロの胸に黒髪を預けたまま、悟飯は掴んだその手を強く強く握りしめた。
………幼き日、昔話に聞いた魔王の所業、そして、自分を鍛え、守り、助けてくれた唯一の。
────────それは、確かに変わらなく差し伸べられている手であって。
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[chapter:■003:風の吹く場所■]
渺々と、乾いた風だけが薄茶色の地肌を浚ってゆく。
何もかもが破壊され、塵と化し、
もはや砂しか舞わぬ荒野の果てに、ふわり、と長身の影が舞い降りた。
「………××××××………………」
固まりかけた血でごわつく髪を無造作に風に投げ、未だ癒えぬ傷に砂が凶器と化すのにも構わず。
時折ふらつきながらも惑いない足取りで男は歩いた。ぱたり、ぱたりと赤黒く小さ過ぎる足跡を連ねて。
「………××××××………………」
何も無い荒野。崩れた岩肌には一片の緑すら見受ける事は叶わず。
──────其処は、かつての男の修行地であった。
生きるという事を学んだ。強さという事を学んだ。力というものを学んだ。───そして自分が自分である事。
ただ一人誰かを大切に想う事を知って、大切な誰かを、──失う事を刻み。
「………××××××………………」
……………もう、いいでしょう?………それとも………まだ、甘いって怒鳴るのかな………?
覚めない悪夢のように続く人造人間との戦いに死を覚悟した。
死ぬ事は怖くなかった。解放される喜びすらあった。振りかざされる手刀に緑色の夢さえも見える。
けれどふと気がついた。
─────ココデハ、シニタクナイ。
──────ボクノシニバショハ、ココ、ジャナイ。
………どうやってその場を逃れたかだなんて覚えちゃいない。
男にしか見分けのつかぬその場所へ辿り着くと、男はゆっくりと膝まづき、そうして、乾いた大地へ額を擦り付けた。
──────至福の笑みを浮かべ、………まるで、甘えるかのように。
水に沈むかのように落ちてゆく意識の中で、吹き荒ぶ風だけがかつての彼の人の声を運んだ。
『………×××××××、×××………………』
幼かったあの日々、どれだけ辛く厳しい修行にも耐えられた。
───耐えてみせた。その言葉が聞きたくて。
不器用な彼の人が見せた、とても小さな感情の発露。
「………××××××………………」
男は夢見る。かつて失った彼の人の背。
男の小さな教え子がその姿を見つけ呼び起こすまで、
それは、男にとって何より倖せな逢瀬に違い無く。
「………××××××………………」
横たわる男を守るかのよう、渦巻く風が、またひとつ渺と哭いた。
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[chapter:■005:綺麗なもの■]
綺麗なものを見に行こう、あなたと。
太陽が昇る直前の朝の一瞬。
静かに貌を起こす名も無き花、光を照り返す朝露。
重なる雲の隙間から、カーテンの様に光が零れて溢れて。
あなたに見せてあげたい、綺麗なものを、たくさんのものを。
綺麗なものが見たい、あなたと一緒に、眸が廻るまで。
キラキラと乱反射する色とりどりのガラス玉。
小さく音を立てて立ち上がるペリエの気泡。
夜明け前からホームを出発。
こんな時だけ早起きをして、バスケット一杯にオープンサンド詰めて、
寝ぼけ眼のあなたの手を引いて、「さぁ行きましょう!」と助手席に押し込んだ。
『いきなり何だ?! 』……なんて、不機嫌なふりをしたって駄目。
バケットもレタスもハムもチーズも、………僕は準備してなかったよ?
………………嗚呼ほらそっぽ向かないで、怒ってるふりでもいいからちゃんと貌を見せて?
波打つ鏡のように風景を映し込む湖面。
柔らかい風にざわりと揺れる木々の若葉、踏み締める地面がクッションのよう。
お土産にと買い込んだ万華鏡は、
………結局気に入ってしまって、プレゼント出来なくなってしまった。
綺麗なものを見に行こう。
日々の時間の中で見過ごしてしまった大切なものを。たくさんのものを。
清水で洗ったラズベリーの深紅。
屈み込むあなたの背に落ちる木漏れ日。
水平線に沈む夕日、オレンジ色に染まる空、蒼く透き通る空気、ゆっくりと瞬き始めるシリウス。
あなたに見せてあげたい。あなたと一緒に見たい。………首が痛くなるまで、ソラを見上げて。
言葉も無く眸を丸くする、あなたの貌を見ていたくて、
古く寂れた神殿に祈るお願いは内緒。
綺麗なものを見に行こう。あなたと二人で。………あなたと一緒に。
静まり返る夜にヘッドライトの光だけが伸びてゆく。
助手席で眠るあなた、ハンドルを握る僕。
見せたかったたくさんのものを、僕は幾つあなたに見せてあげられただろう?
小さなライトにけぶるあなたの横顔。伏せられた眸。微かな吐息。
僕の見たかった綺麗なものは、今もこうして隣にあるけれど。
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[chapter:■006:笑顔■]
………信じてもらえるだろうか?
倖せでいて欲しいだけなのだと。笑っていて欲しいだけなのだと。
……………ただ、お前の笑顔が見られればそれだけでいいのだと。それが例え誰の隣であろうとも。
………信じてくれているのかな? ちゃんと、本当に、解ってくれて、いるのかな? あなた。
倖せにしたい。そうして、倖せになりたい。
あなたに赦されて、あなたの隣に居られる事が、僕を何よりも倖せにするのに。
どうしてあなた、誰より倖せな僕を見て、そんな哀しそうな貌をするのかな。
「無理をするな」 ………だなんて。
………やっぱりあなた、ちゃんと解ってないでしょう。
……………大切なんだとは、思う。それは解っている。でなければ、生命を賭けて守ったりはしない。
子犬のように小さくて、泣いてばかりだった幼子は、やがて、迷わず語り掛ける少年となり、
………優しく笑う、青年となった。
……………「大好き」なのだと、口癖のように飽きもせず繰り返して、笑い。
「大好き」で「大事」で「大切」なのだ。───何よりも、誰よりも。
ぶっきらぼうな口調の影の、「優しい」あなたをもう僕は見つけてしまったから。
───本当、は。「優し」くて「寂しがり」で「臆病」で。
一番奥の、一番素直なあなたを何時だって抱き締めたい。
………………もう、知ってるし。だってあなた、僕が好きでしょう? 好きだよね?
笑顔を見ていたい。何時だって笑っていてほしい。
─────願うのは、本当にそれだけ。
多分気付いちゃいないでしょう。
時々あなた、とても優しい貌で僕を見てる。
指摘したらきっと、ムキになって否定するだろうから、敢えて知らないふりをしてあげるけど。
とても優しい貌で微笑うあなた。誰にも教えてあげない。教えられない。
俺の隣でずっと笑っているコイツは、一体何が楽しくて嬉しいのやら。
他のひとの前でなんて笑わなくてもいいから、僕にだけ笑って? ………なんて。
つい都合の良い事を考えてしまいそうになる。何時から自分はこんなに弱くなったのか。
にっこり笑って御願いしたなら、あなたはどんな貌をするだろう?
最近溜息ばかり吐いている気がする。
解ってはいるんだけど、ね。
───「笑顔」が見たい。たったそれだけ。
─────笑っていてほしい。それだけが望み。
見えない糸を手繰り寄せて、まだあなたにはその先が見えてはいないみたいだけど。
僕にはちゃんと見えているから、
………安心して、あなたの傍で笑っていられる。
──────早く早く、気付いてくれたらいいのに。
………また悟飯が笑っている。………本当に何が楽しいんだか、俺には解らない事ばかりだ。