廃園

一次二次創作を含む世迷言です。何でも許せる方のみどうぞ。あくまで個人的な発言につき、転載、引用はお断り致します。

【Blessing】

 

 

 


「──祝福してくれないか? ピッコロ」
「……………祝福?」
「───ああ。神でもあり魔王でもあるお前に祝福してもらえたなら、きっとこの子は世界で一番倖せになれる」

 五月晴れの午後、神殿が位置する上空独特の真直ぐ通る風に靡く髪を押さえながら、静かな確信に満ちた表情で18号は微笑んだ。

 

 『Blessing』

 

 地球の運命を賭けたセルゲームが終わって数年が過ぎ、世界には今までの事など忘れたかに見える穏やかな時間が流れていた。
 セルの手によって失われた生命はドラゴンボールの力で蘇り、破壊された街も以前と変わらぬ復興を遂げ、何時しか人々の口にも忌わしい虐殺の歴史が登る事は見られなくなっていた。恐怖の記憶は決して忘れた訳ではなかったが、敢えて口に出さない事で、知らず歴史の蔭に封じ込めてしまいたかったのかもしれない。燃え盛る炎、立ち上る黒煙、異形の手刀の一閃で消え去った都と人々。風に乗って流れて来る子供の泣き声と、手折られた花、───瓦礫をまだらに染め抜く赫。素知らぬふりして忘れてしまいたくとも到底忘れえぬ血臭。世界の誰もが心の裏側に負った癒えぬ傷に蓋をして、意識的に前だけを見つめていたのかもしれない今日。
 それは逃避では無く、種としての逞しさなのかもしれなかった。個々に於いてはたった100年足らずの寿命しか持たない人々の、生き延びる、生き延び続ける為の強さ。長くはないその生命の中でどれだけのものを次代に残せるか、その人々の切なる願いと、想い。
 それは長い時を渡る異星人の眸には眩しいまでの煌めきと憧憬を呼び起こし、下界を伺う度にそのせわしない倖せを願わずにはいられなくさせるものだった。それ程の強さ、それ程の引力。

 人々の世界を遥か下界に見下ろし、巡る時の流れから置き去りにされたかのようひっそりと佇む神殿には、小さくも心正しい異形の神と旧き知恵持つ黒纏う付人、───そして優しく寂しい魔王が一人。

 変わる事なく過ぎて行く日々に鳥さえ訪ずれぬ蒼天を割き、久しく姿を見る事のなかった金髪の訪問者がその姿を見せたのは何年振りであろうか。
 ───曾て世界に飽いた人形は、今や小さな家で小さな家族となり、派手ではないながらも穏やかに平和な日々を過ごしている筈で。その夫たるクリリンが頭を掻きながら妻の妊娠の報告にこの神殿を訪れたのはつい先日の事。

 ──────倖せなのだと。新しい生命の誕生が本当に嬉しいのだと。

 はにかんで小さな身体を更に所在無さ気に丸めた地球人最強の男は、それでも赤い貌で云い切って笑った。

 相対する関係が変わったとは云えその性格が変わった訳でも無く、相変わらず人付き合いを心安しとしない細君は、気さくな質の夫と違い神殿に遊びに来る事もその訪れる用件も無かったのが常であったのに、たった一人以前と変わらぬ姿で神殿中庭の石畳に降り立った18号は、不思議そうな貌をして見やる神に一瞥だけをくれ、無言で佇む魔王へその願いを告げた。


 ─────「祝福」してほしいのだ、──と。

 

「………クリリンから聞いているんだろう? 実は少し前に妊娠している事が解ってな」
「………………ああ、一昨日だったか、そう聞いた。………間違い無いのか?」
 ───淡々と話す18号の声音にはかつての苛立ちは聞こえない。
 以前耳にした知識によれば、彼等は人の手に寄って改造、生み出された人工の稼動体である筈で。生体パーツも使用していたとしても、戦う為だけにその戦闘力を特化させて開発された構造に生殖・繁殖機能が備わっているとは到底思えなく。
 父親になるんだ、と嬉しそうに照れて笑っていたクリリンに詳しい事を聞くに聞けなかったピッコロは、冷静に語ってみせる女性体についその真偽を問い質す。彼等に繁殖もしくは増殖が可能であるならば、あの日未来からやって来た少年が守った筈の運命も、予想とはまた違う結果に及んだかもしれない事を危惧した為の問いだった。
「間違い無い筈だ。疑うのも無理は無いがな───私だって信じられなかったさ」
 口元に手を充てて小さく笑う。告げた時のクリリンの貌でも思い出しているのだろうか、その声色には可笑し気な響きが混じった。
 あの表情豊かな男がどんな貌をして叫んだのやら、感情に疎いピッコロにとて容易く想像が付いた。───おそらく外れてはおるまい。
「人造人間に体調不良など起こる筈も無いのにな、吐き気が幾日か続いて─────てっきり感覚回路が何処か焼き切れたかと思って、修理してもらうつもりでブルマの処へ行ったんだ」
「カプセル・コーポレーション、か」
「ああ。………彼等父娘に直せなければ、地球上の何処へ行っても無駄だからな」

(───壊れてしまっても、私は構わなかったんだけどな………)
 唇の動きだけで18号が呟いた言葉。

 脳天着な風を装いながらも、実際地球最高の頭脳と科学力を合わせ持つ二人の能力はピッコロも知っていた。パワーで敵と戦う事が無くとも、彼等は彼等なりの戦いで確かに地球を守り、導いた。特にあの娘──ブルマといったか、彼女の選択した運命の有効性に後々眸を剥いた事は一度や二度ではない。異形の自分にももはやこだわりなく言葉を投げるあの威勢の良さ、曾て自分達を殺そうとしていたベジータを伴侶に迎えたその剛胆さからしても徒者ではないなと思い出す。
「何処も破損も故障もしていないのに、逆に今まで見られなかった生命反応が出てると云ってな、調べ直してみたら妊娠してると。調べたブルマも驚いていたが父親にもデータを確認させていたからほぼ間違いない筈だ」
「……………そうか。………信じられなかったと、云ったな。───何故だ?」
 吹き抜ける風に舞い上がった金髪が一瞬18号の表情を覆った。額に掛かった髪を掻き揚げるその仕種は何処までも穏やかで。

「─────────奇跡、だからさ」
 自分より遥かに背の高いピッコロを見上げ、視線を逸らさず人形は告げる。

(───アイツの事だからまたきっと、助けようとするに違いないからな………)

クリリンには少しの改造程度と云ったが、本当はそんな単純なものじゃない。“少しの”事で全ての人間がこのパワーを得られるのなら今頃Dr.ゲロはノーベル賞ものだ。お前とて長命種のナメック星人なのだから大体の想像が付く筈だ。違うか?」
「………………………」
「きっと私の外見はこのまま変わらない。稼動エネルギーが永久循環式だから、多分普通の人間よりも遥かに長く生きる事になるだろう。外的要因が派生しない限り死なないのかもしれない。エネルギーが永久循環するという事がどういう事か解るか?新陳代謝が殆ど瞬間的なものになり、新しいものは発生したその瞬間に消去される。システムは現状の維持をもってその存在を保つのだから、成長であれ老化であれ変化を受容する事は通常有り得ない」

 ──────それは永い永い時を渡るモノの逃れられない摂理。

「変化を否定したシステムでは新しい生命など育めない。妊娠など新陳代謝の際たるものだからだ。………それでも、私はこの子を授かった」
「自らの稼動維持をも脅かすかもしれないのに、システムはこの子の発育を赦した。私の意識もあるのかもしれないが、正直私には想像もつかなかった事だ」
「………………………そうか」
「お前達が居なかったなら、この星の災厄として人類を皆殺しにしていたのかもと思う。実際私達は全てを諦め、全てに絶望し、全てに飽いていたんだ。……………未だ、お前が私や17号に対して警戒を解いていない事も知ってる。お前だけじゃない。きっとこの星に住まう全ての人間が、私や17号、16号の存続を知ったなら疎んじて排除しようとするだろう。それだけの事を私達はしたんだ。今更赦されようなどと都合の良い事は思っちゃいない」
 ふと伏せた視線に寂し気な影がよぎる。等しく彼女の半身であった兄の身を案じたのか、あの日以来17号の行方は杳として知れないままで。
「それでも………それでも、私はこの子の倖せを望む。私達の罪はこの子には関係ないのだから、この子にだけは倖せな一生を過ごしてもらいたいんだ。………望んでくれた、クリリンの為にも」

 ───倖せなのだと、嬉しいのだと。
 クリリンは彼女に何度となく告げたのだろう。ともすれば疑心に捕われかねない彼女の為に。
 過去の行いを償う事も忘れる事も出来ない彼女の為に、言葉が、───想いが彼女の「力」となるように。
 ピッコロの数少ない知己である彼は───そういう優しい人間だった。

「………産まれてくる生命は、それが如何なものであろうとも、望まれて産まれてくるんだと教えてやりたい………誰に疎んじられても、それでも、望まれて存在するのだと」
「………………………望まれて産まれなかった俺に、お前の子を祝福する資格があるとは思えん。神からの祝福が欲しいと云うならデンデに云うがいい」
「…………望まれていない? ……いや、今のお前は望まれているさ、あの子に」
「………………………?」
「私達の脳にはお前達のデータが全てインストールされている。改造中や凍結中に強制的に流し込まれたものだがな。目覚めるまでの間のお前達の戦いのデータも全てだ」
「………………………」
「お前がサイヤ人から命懸けで守ったあの子は、お前の存在を心から望み、そして誰よりも強い意志でお前をこの世界へ呼び戻した。お前が死んだ時、あの子だけが涙を流したな」

 ───死なないでと泣き叫んだ幼子。生きる事を学び取った筈の愛弟子が見せた最後の泣き顔。
 出逢った頃は何時だって小さな子犬のように泣き喚いていたのに、何時からか子供は泣かなくなった。───泣く代わりに笑うようになった。
 ──────その子供が見せた、最後の泣き顔。───自分の為に、泣いた子供。

「………誰よりも望まれているのさ、誰でもないお前自身が、あの子に。………解って、いるんだろう?」
「………………………それは」
「誰かの代わりじゃない、誰でもないお前自身が望まれて、そして生まれ直したのさ。誰よりも純粋に、あの子はお前自身を望んで喚んだんだ。お前自身が願われているんだ」

 ──────ピッコロさん、大好き……………!

「たった一人だけでもいい、大切な存在が居て、そしてその存在に自らを望んでもらえたなら、最強の気分にならないか?」
 悪戯っぽく、18号の口角が上がる。

 ───ときどき遊びに来てもいいですか………?

 愛弟子が勉学に忙しいのは天上からも容易く見て取れる。幼い日々から運命に捕われて戦いに明け暮れた日々。──ようやく手にした平和な世界で、母親に云われずともまるで乾いたスポンジが水を吸い込むかのよう、これまで得られなかった様々な事を吸収し体験しているのを知っている。それでも、──約束した訳でもないのに、10日と開けず愛弟子はこの神殿を訪れていた。
 ───他愛無い近況報告と、何時もの問い掛け───また、来てもいいかと。
 素直で優しい心のまま繰り返される言葉に、是と頷く事しか出来ず。───否と云い渡す理由も見付からず。

「あの子と出逢って、あの子に望まれて、お前は生まれ直したんだ」
 
 ────ピッコロさんは、悪いひとじゃないよ………………。

 フラッシュバックのよう、聞こえる筈のない声が聞こえたような気がした。

「………………俺は」
「今の私は誰にも負ける気がしない。お前にもセルにも、───孫悟空にも」

「信じてくれる者が居て、望んでくれる者が居て、そしてこの子が居る。───勝てなくとも、負ける気はしないな」

 ──────お前だって、そうだったんじゃないのか?
 確信に満ちた声で唄うように紡がれる言葉。


「私は強い。この強さで守りたいものを守り抜いてみせる。───勿論この子にも倖せになってもらう予定だが………、……未来は定まっていないものだ。誰よりもお前達がそれを証明した」
「………………………」
「私はこの子を望んだ事を後悔する事は無い、それでも───私からの出生が他の人間に知られたなら、この子は何か辛い思いをするかもしれない。世界を壊そうとした災厄が産む娘だ、勿論デンデにも頼むつもりだが、神からの祝福だけじゃあ足りないな」
「………………………」
「───そう、思うだろう?」  


「祝福なぞ………やり方が解らん」
「簡単だ。………倖せを祈ってくれたらいい。それだけでいいんだ」


 下腹部に手を添えて真直ぐにピッコロを見据える18号は、もう既に母親の貌をしていて。
 ───守るべきものを持つものの貌だ───とピッコロは思う。
 鮮やかに浮かんでは巡る───ブルマやチチやトランクスが見せた決意。

 それは何時からか自分の愛弟子が見せる表情にもとてもよく似ていて。
 惑いない意志が、愛弟子の視線を彷佛とさせる。───何時だって勝てた試しが無い。


「──────では祈らせてもらおう、その子の幸福を。………穏やかな道程を」


 ありがとう………と嬉しそうに微笑む18号は今までの彼女とはまるで別人で、ひとは想い一つでここまで変えられる、変われるものかとピッコロには眩しくさえ見えた。
 自分と同じく永い時間を渡らねばならない筈なのに、いずれ愛する者に置き去りにされてしまうは確定の未来である筈なのに、その強さは「人間」そのもので。
 ふと気が付いてみれば、今この場に普通の「人間」は只の一人も居ないのにと可笑しくさえ感じる。
 そんな感情が無意識に表情に出ていたのか、ピッコロの僅かな変化を見咎めた18号が納得のいかない貌で問い掛けた。

「───どうかしたか?」
「いや、大した事ではない。──────倖せを祈ろう、心からな」
「………………………そう云えばお前の誕生日は何時だ?」
「───誕生日? ………………あまり意識した事はないが……もう、間もなくだったかと思う。毎年悟飯が何やかやと手土産を持って来るが」
「そうか……! お前も祝福されているんだな、あの子に」
「──だッ誰が誰に──ッ!」
 何も望まぬ質だと解っていても、贈らずにはいられないんだろうなと、18号はくすくすと笑って云い続ける。

「あの子からの祝福には到底及ばないと思うが───少し早いかも知れんが私からも云わせてもらおう、この子の御礼だ」
「………………………何を」

 誰に限らず、古今東西「女」がこういう貌をして云い放つ言葉には碌なものがないと、知識と経験がそっと本能を刺激する。


「誕生日おめでとう、ピッコロ」


「………………………」
「─────あの子と倖せにな? ──私もお前の倖せを祈ろう」
「─────────ッ!!」


 癇癪を起こしたピッコロの怒号が神殿の立ち木を震わせる。きっと18号はこの場に長逗留しないにしろ、この分では今日一日ずっとピッコロの機嫌は宜しくないに違いない。誰であろうと確実に予想出来るだろう数十分後の未来に、神たる者としての知識をピッコロから引き継いでいる最中のデンデは、二人の様子を少し離れて伺いながら気付かれぬようそっと一つ溜息を零す。
(………こんな時こそ悟飯さんが来てくれたらいいのに……………!)

 天上の大騒ぎも知らぬまま、当の悟飯はその時分ピッコロへのプレゼントを選ぶのに夢中で。
 流行りと教えてもらったショッピングモールを忙しなく覗き込みながら、一つ一つ品を眺め眇めては首を捻っていた。

「ピッコロさんには何が一番喜んでもらえるかな………?」

 贈って一番嬉しいプレゼントと、貰って一番嬉しいプレゼントが等しく同一である事に、天上も下界も未だ気付かぬままであった5月のある春の一日。


 世界はそれでも、───全てを等しく祝福しているのかもしれなかった。